2011年5月8日日曜日

元軍医先生の突然の死(続き)(20110508)

 女房は掛かりつけの耳鼻科の先生のことを「おじいちゃん先生」呼んでいた。男も過去に二度ほどその先生に診てもらったことがある。その診療所は非常に狭いワンフロア―で、受付と診察場所と治療場所と待合場所が何の仕切りもなく分けられていて、患者には自分の順番がくるまでの間、先生の話声や受付の応対の様子や、治療器具を操作する看護師の声など、何もかも全部が聞こえ、全部まる見えに見える。

男は、自分の順番が来て診察と治療を終えた後、先生に「家内が先生に大変お世話になっています。」と礼を述べた。先生は、カルテに書かれている男の名前をじっと見つめて、男と同じ名字の女性の名前を思い出し、「ああ、Aさんだね。」言った。その様子も他の患者やスタッフ全員に否応なしに知れ渡る。

 そのような狭苦しいごちゃごちゃした診療所で、元軍医のその先生は他界されるまでの44年間働いていた。先生に助手は居ず、自分の孫娘のような看護師や薬剤師や受付の女性たち3、4人が先生の手足となって働いていた。先生は皆家族のような女性スタッフに囲まれて楽しそうに、気楽に診療をしていた。先生は1時間以上も順番待ちをしている患者のことなど一切お構いなしであり、患者もそのことを気にしていないふうであった。

患者の中には先生と長いお付き合いのある老婦人がいた。その老婦人は先生に何か贈り物を届けたらしい。その話も開けっぴろげに皆に聞こえる。患者は皆まるでお互い知り合いのようで屈託ない。男もその場の雰囲気に慣れ、小声で隣の患者と言葉を交わす。患者は皆その先生を尊敬し、その先生に全幅の信頼を置いている様子であった。

 その先生が信頼されている理由の一つに、その先生には全く欲が無いことがある。そして、先生は患者に心から寄り添い、患者にとって最も適切な治療を施してやっていることである。女房は毎年花粉症に悩んでいたが、その先生のお陰で今年も全く平気だった。

その先生が処方する薬は、先生の指示に従って薬剤師の女性が取り揃えている。薬剤師は自分が取りそろえた薬の名前と内容が間違いのないかどうか先生に確認して貰っている。その様子が皆に聞こえる。患者はそのこと一つをとっても、先生に信頼を寄せる。

そのような先生であったから、先生は、皆、と言っても特に高齢の女性が多いが、患者たちからその他界を惜しまれ、「これからどうしょう」と思われ、一方で、先生のように齢をとってから皆に迷惑をかけぬうち、元気なうちにある日突然ぽっくりと逝きたいと思われたりした。

女房は自分自身がそのような死に方をしたいと常々思っているから、その先生の耳鼻科が閉鎖されるという張り紙を見て驚くと同時に、先生は善い死に方をしたのだと思った。

しかし男は、完璧なほど立派なその先生でも若い軍医のころには、何か失敗があったに違いないと思った。その理由は、男自身もこれまで自分が歩んできた人生を振り返り、自分はこの齢になるまで、数多くの失敗や恥ずかしいことがあり、それが積み重なって今日の自分があるのだと思っているからである。しかし、その先生は男とは違うかもしれない。