2011年5月28日土曜日

別府に遊ぶ(20110528)

 別府は昔から湯の町であり、色町であった。流川通りは現在舗装された公道になっているが、昔は文字通り川で川の両側に温泉宿が立ち並び艶っぽい風情があったそうである。昔の川は公道の下に埋められた管路の中を流れているという。

 男の生母は別府で生まれ育った。生母の祖先は江戸時代K藩の藩士として奉行職を務めていたが、明治維新後別府に移り住み宝石店を営んでいた。男自身戦前の幼少時から戦後の少年時代にかけて別府とのかかわりがあり、男は別府にある種の懐かしさを感じている。

 母が入院した知らせを受けて男と女房は急きょ母が独り暮らしをするK町の家に帰ってきた。帰って来たときは家の内外のことでいろいろすることが多く、女房は生来の優しさで老いた母が可哀そうに思い、これまで母のため精一杯尽くしてきた。

女房は母にとって実の娘ながら4歳の時以降母と一緒に暮らしてはいず、どういうわけか母自身も女房のことを自分の娘と言うよりは、自分の面倒をよく見てくれる、ある意味では自分の家の家政婦のようである。女房は高校2年のとき男の家の養女となり、戸籍上では男と兄妹の関係にあった。そのころ男は既に社会人として自立した生活をしていたので、女房と一緒に暮らすことはなかった。ある日男の父親が「お前はあれと一緒になれ」と言った。男は素直に「はい」と言って女房と夫婦になった。以来50年近くなる。

 母の前世は御姫様と思われるほどに母は炊事が苦手である。母によれば「私は小さい時から大事にされて育った。家事手伝いなど一切したことがなかった。」という。男の父親にとって母の作った料理は誰にでもできるようなものばかりで、後妻である母の料理を喜んでいた節はなかった。男の父親と母の間に60を過ぎた娘が一人いて遠くに住んでいる。

 一方男の家に来た女房は高校2年の時以来、寒い冬の日でも期末試験があったときでも炊事をさせられていた。お陰で女房は家事一般のベテランになった。女房はこの家に帰ってきたときは母のためこまごまと精一杯働き、気疲れし、体重を減らし、横浜の家に戻ったときはいっぺんにどっと疲れがでてしまうことがたびたびある。

 そこで男は雨天のため渋っていた女房を別府の温泉に連れて行った。泊った宿は別府の老舗Sホテルである。男と女房はツインベッドが二つあり和室も付いている大部屋で12階の見晴らしの良い部屋に泊った。此処は大浴場のほか眺めのよい場所に大きなたらい型の一人専用の露天風呂が45つあり、サウナもある。食事はバイキング方式がおすすめである。料理の種類や質や内容が非常に良かった。スイーツも高級なものがバイキング方式で食べることができた。女房は「お父さんと一緒の誕生祝いだね。」ととても喜んだ。

 高速バスで別府に着いた日、雨の中「うみたまご」という水族館でたっぷり遊んだ。其処は平日で雨天ということもあって入館者が少なかった。男と女房は若い女性が訓練中のゾウアザラシの動きを見て、おかしくて仕方がなく、女房は腹の底から笑っていた。

翌日は観光バスで地獄めぐりをした。この12日の小旅行は男と女房にとって最良の思い出となった。男は女房の一代記を小説にして書いておこうと考えている。