2011年5月18日水曜日

東日本大震災報道写真展 (20110518)
   
  男は今日、女房と横浜にある日本新聞博物館に行った。この博物館は、横浜中央郵便局のすぐ近く、道路を挟んだ反対側にある。今日はお天気も良く、明後日九州の田舎に帰るので土産物など買うついでにこの博物館に行って、東日本大震災の報道写真展を見ることにした。また、高島屋デパートでは岩手物産展もやっているので、そこで何か買って被災した岩手県を少しでも応援したいと思った。

 男と女房は横浜市の敬老パスを使って、市営バスと市営鉄に乗りつぎ、関内で下車してその博物館まで行った。その博物館は東横線が乗り入れしているみなとみらい線日本大通り駅のすぐ傍にあるが、市営地下鉄関内駅から歩いて行っても近い。むしろこの方が横浜のダウンタウンを散策できて楽しい。男は女房の背に掌を当てて「横浜はいいねえ」と言うと、女房は「そうでしょう?田舎はたまに行くのが楽しいのよ。田舎がいいって、そこに住み続けるのはとてもできない」という。

男と女房は一戸建ちが建ち並ぶ郊外の住宅地に住んではいないが、日々生活する上ではこの上なく便利なところに住んでいる。日常の買い物は直ぐ近くのスーパーでできる。ちょっと高級感のあるものは、敬老パスを使って30分ぐらいで横浜駅まで行けるので、その近くの店で買うことが出来る。羽田空港に行くにも、鎌倉に行くにもここは便利である。

 そのようなところに住んでいて、東日本大震災報道写真展を見た。写真は全部で90枚展示されている。それは、新聞やテレビで見るのと違い、非常に心を動かされるものばかりである。被災地に行った人々は誰でもその被災状況に圧倒されると話しているが、テレビや新聞報道で知ることと、実際の状況とはもの凄く大きな差があると思った。展示されている大きな写真パネルを見るだけでも、テレビや新聞報道で知る内容と大きな開きがある。

 東北の太平洋側の海岸線の美しい町や村々で、心豊かに暮らしていた非常に多くの方々が、あの311日午後246分の巨大地震によりその生活が一変した。男と女房のように、都会地の便利な環境で暮らしていると、そこが一番良いところだと思い込んでいるが、三陸の田舎ので暮らしていた人々も、そこが一番良いとことだと思い込んでいた。その暮らしがあの大津波で一変してしまったのである。

 写真の中の一つに、巨大津波すべてが流された相馬市の原釜付近で、取り残された市民らに対する必死の救出が自衛隊員や消防団員らによって行われていて、津波が襲った翌日、12日の午前710分ごろ、早朝の寒さに震える小学生低学年らしい女の子の肩に、そっと自分の制服の作業用上着を掛けてやっている自衛隊員とその女の子が写っている写真があった。「命だけ助かって一晩夜を明かしたのだろうね。寒かっただろうね。親は生きているのだろうか」と男はつぶやいた。女房は黙ってじっとその写真を見つめていた。

 手書きの「石巻日日新聞」も一部が展示されていた。女房はそれをじっと見つめ、「少ない人数でよく頑張ったわね」と、ぽつりと言った。「未曾有の大震災」と軽く言うが、報道写真を見て、男は、この復興は国として復興庁を新設して取り組むべきであると思った。