2011年5月14日土曜日

戒名(20110514)

男は女房の分も一緒に、さるお方から大変立派な戒名を頂いている。戒名は本来戒を授けられて、俗名を改めて付けられる名前である。しかし仏教が俗化し葬式仏教と成り下がってしまってからは、戒名は一般に人が死んだあと僧侶がその死者に付けるものとなってしまった。しかもお布施の金額で戒名の文字数が違うと言う。全く馬鹿げたことである。

男も女房もそれぞれある程度人生を達観しているつもりであるので、早々と戒名を授けて頂いた。戒名を授けて下さったお方は男に向かって、「あなたは死ぬ時にはさらに修行が進んでいるだろうから‘居士’の上に‘大’を付けたよ。」とおっしゃった。男の戒名は「願真院」で始まっている。女房の方は「明光院」で始まり、「大姉」で終わっている。途中の文字はまだ修行が足りないので言えないが、それぞれ大変立派なものである。

しかし女房は昔から男よりずっと修行が出来ている。女房は小さい女の子の時から祖父にいろいろなことをよく教え込まれていた。男の方は生母が早世し、父親も男が小学生のときから傍にいなかったせいもあるかと思うが、女房に比べてまだまだずっと俗っぽい。しかし折角頂いた戒名に恥じぬよう、心正しい生き方をせねばならぬと思っている。

70歳の誕生日を過ぎて数日後、体調を崩していた女房は気弱になっていたのか、突然、「お父さん、戒名は仏具店かどこかで仏壇に飾れるように作って貰って、生命保険証書などと一緒に判るようにそこの書棚の中にしまっておいたら?」と言った。女房の体調は10日ほどで回復したが、男はこの際女房が言うように、戒名とその葬祭の契約書や生命保険証書など一式をまとめて、息子たちに判るように予め示しておこうと思う。
 
男は二人の息子たちに、自分と女房の戒名を知らせてある。わが家の祭祀のことは長男に託してある。男と女房が一緒に万一事故に遭って死んだとき、息子たちが困らぬように、息子たちには我が家の玄関のカギをそれぞれ1セットづつ渡してある。1セットと言うのは、我が家の玄関のカギは防犯上二重にしてあるからである。鍵の構造も、簡単には解錠できない特殊なものである。かといって、この家には大してめぼしい資産はないが・・。
 
人は何時、突然あの世にゆくかもしれない。物事の現象は時々刻々変わり、決して常ではない。そういうことを考えて、男はもう積み立てを終えているがある葬祭会社と契約し、自分や女房の葬式はその会社の斎場で祭壇等一式揃えて、それなり立派な葬式をやって貰えるようにしてある。さらに男も女房も個別に一定額の保険も掛けてあって、葬式にかかる一切の費用を賄えるようにしてある。
 
その上、男は女房と一緒に旅行するときの費用は、万一の事故に備えて旅行傷害保険付きのクレジットカードで決済している。そのクレジットカードを使えば、万一旅行事故死したときにはそれぞれ保険金が下りるようになっている。それは、万一突然事故死した親から、遺してゆく息子たちへのプレゼントになるものである。昔武士は殉死したり罪を得て切腹したりして、後に遺る家族の安泰を願った。同様に、男は、自分が死んだ先のことまで考えることは男として非常に重要であると思い、そのようにしているのである。