2011年5月16日月曜日

近所の家に身を寄せている被災者(続き) (20110516)

 女房はベランダに出ているとき、その女の子が「ママ、ママ」と叫ぶ声を聞いたという。その子はなぜ自分のそばに母親がいないのか判らず、母親を恋しがっていたのである。暫くして女房は、その三女とその女の子の手を引いて去ってゆく後ろ姿を見た。「埼玉の方に帰って行ったんだわ。おばあちゃんも胸が割かれる思いでしょうね」とぽつりと言った。

 おばあちゃんと一緒に来ていた二人の男の子のうち、中学生の子は福島の両親の元に戻った。高校生らしい子はおばあちゃんと一緒にこちらで暮らすようである。

 その高校生らしい子の所に同じ年ぐらいの子が遊びに来ていた。男は通りがかりに声をかけた。いつも男の方から声掛けし、関心を示しているので、その男の子も男にはある種の親近感を抱いているようである。

男はいくらおばあちゃんが傍に居るとはいえ、その子が親元を離れ何時も家の中にいるので気がかりである。男は友達と語りあっているその子に「学校は?」と聞いた。するとその子は「通信教育を受けます」と、元気な笑顔で話してくれた。男は「それはいいね。なにか手伝えるかもしれないので、何でも聞いて」と話しておいた。その子は男が話しかける前に来訪していた友達が、「横浜に行こう」と話していたということを女房に話した。

 男が難しい年頃のそのような男の子に関心を示し、「折を見て、友は類をもって集まると言うことを話してやるんだ」と女房に言ったら、女房は「うるさいおじいさんだと思われていると思うよ」と笑う。男は「それでいいんだ。あの子はにこにこしていて優しそうないい子だ。教えざるの罪というのがある。齢をとった者は若い者に遠慮せず教えてやることが大事だ。俺は何かと声をかけてやり、力になってやろうと思っている」と応じた。

 女房は「その子は通信教育を受けても勉強はしないわよ。友達が横浜に行こうと言ってたんでしょう?田舎ら出てきて楽しいことばかりあって、通信教育で勉強なんて出来っこない」と言う。男は「多分そうだろうと思う。しかし、その子も中学を出ただけでは駄目だと思っている筈だ。勉強する目標がきちんとすれば、真剣になる筈だ」と言った。

 巨大津波による被災や福島第一原子力発電所による放射能被災は、その子のような人生これからという子供たちに大きな影響を及ぼしている。子供の教育は親の責任でもあるが、その親が子供に十分接してやれない現実がある。被災地の行政庁はそれぞれ必死になって、次代を担う子供たちの教育について可能な限りの対策を講じる努力を続けている。それでも男が接しているような現実が起きている。

 男はその子に折に触れ関心を示し、その子が間違った道に行かないように気を付けようと思う。都会地では他人に対して無関心であることを美徳のように思っている人が多い。田舎では逆である。齢が若い者が近所の年寄りに挨拶をしないと言って不満を言う年寄りが多い。もし、年寄りである自分の方から若い者に笑顔で挨拶ができるならならば、相手の若い者は必ず挨拶を返す筈である。もし、挨拶を返さない者がいて、そのようなことがニ度あったときは、三度目にはその相手を叱りつければ良いのである。