2011年5月29日日曜日

雨だれの音 (20110529)

 今朝は雨である。女房はまだ眠っているが男は胃腸の調子が悪くお腹にガス溜まって張ってきて目が覚めたので5時過ぎに起き、男がインターネットに公開している吟詠の6月の吟題・嵯峨天皇の『山の夜』の解説を書いている。

軒下の出窓の屋根を叩く雨だれの音が聞こえている。この家は築40年以上経っているが、まだ天井に雨洩りはないようである。しかし雨が降ると窓際の天井をポトンポトンと叩く音があり、屋根瓦の隙間から多少の雨水が落ちているのではないかと思ったりする。

 嵯峨天皇の『山の夜』は嵯峨天皇が即位後間もないころ、谷川のほとりの山荘に居住したときお作りになった歌である。田舎に住んでこのようにして文を書きながら雨だれの音を聞くと、此処は嵯峨天皇が住んだ奥深い山荘ではなく田舎の町中であるが、嵯峨天皇が若き頃住んだ山荘の様子を想像し、1200年ほど前のイメージを重ねた感慨がある。

 ちなみに、嵯峨天皇(786824年、桓武天皇の第二皇子で第52代天皇)の御製である。嵯峨天皇は幼時から聡明で文武兼備の不出世の天子であったと言われており、漢詩人で書家でもあった。母方の先祖は後漢の霊帝の後裔で坂上田村麻呂と同族の坂上氏である。

その先祖は阿智使主を祖とする漢系渡来氏族(東漢氏)の一族である。阿智使主は後漢の霊帝の後裔と言われており、『日本書紀』応神天皇209月の条に、「倭漢直の祖の阿智使主、其の子の都加使主は、己の党類十七県の人々を率いて来帰した。」とある。何十万人とも言われる帰化人たちは後の日本の文化発展に大いに寄与し、皆日本人になっている。
『山の夜』という漢詩はつぎのとおりである。

  山夜 嵯峨天皇

移居今夜薜蘿眠 夢裏山鶏報暁天
不覺雲来衣暗濕 即知家近深渓邊

   居を移して今夜薜蘿(へいら)に眠る
夢裏(むり)の山鶏(さんけい)暁天を報ず
覚えず雲来たって衣(ころも)暗(あん)に湿う
即ち知る家は深渓(しんけい)の辺(ほとり)に近きを

薜蘿とは薜茘(まさきのかずら)と女蘿(つたかずら、さがり苔)のことである。薜茘は常緑の低木で蔓生であり、女蘿は苔の一種で地衣類である。

この詩の意味は、

   今夜は宮中から出て山荘に宿す。
辺りはまさきの葛や下がり苔が垂れ下がった深い森の中である。
ぐっすり眠っているとき、山鳥の声で目が覚める。夜が明けて来たのだ。
いつのまにか曇り空となり、着ている衣服もじめじめとしてきた感じである。
これは、この山荘が深い谷川のほとりに近いところに建っているからである。

である。

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