2011年5月12日木曜日

介護帰省(続き)(20110512)

 男と女房の介護帰省が始まったのは8年前母が大腸に悪性腫瘍が出来たときからである。男は帰省の都度、母がかかりつけの町医者K病院のK先生に挨拶に行ったり、盆正月の挨拶をしたりしていた。ある日その先生から遠距離電話が入った。「お母様のおなかの超音波検査をしたら56センチぐらいの影が見つかりました。精密検査を受けさせた方が良いと思います」という内容であった。

 男はすぐさま帰省しK先生に会って詳細を聞いた。そして母を横浜の自分の家に連れて来て川崎のS病院で精密検査と手術を受けさせるべくK先生に紹介状を書いて貰った。K先生はエコー写真など検査データ全部を入れた大封筒とS病院外科部長I先生宛の丁寧な紹介状を書いてくれた。

 男は母と一緒に暮らしたことが殆どなかったので母を横浜に移住させ、男の家のすぐ近くに住まわせ面倒をみようと本気で考え、近くに手ごろな家も見つけていた。

母はS病院のI先生の執刀で無事手術を終えた。後でI先生は「お母様はご高齢なので、正直な話、手術に当たってはかなり緊張しました」と語っていた。退院するときI先生は、「本当は血液内科で引き続き抗がん剤を使う治療を受けた方が良いのですが」と言っていた。しかし、母は一日も早く自分の家に帰りたがった。

一年後、I先生の言うとおり大腸にがんが再発した。男はK先生が予め連絡をしてくれていたO大学病院に母を連れて行った。ところがO大学病院に空きベッドがなく、O大学病院が候補にあげたA病院に入院させ、抗がん剤を使用して治療することになった。

男はA病院の主治医M先生に、「母のがんは治さなくてもよいです。がんと仲良く生きられるだけ生きればいいです」と言った。抗がん剤は種類が多い。M先生はK先生から送られたデータを元に、母のがんに効きそうな抗がん剤を選んで使用してくれた。それも高齢のため血球数が増えないので抗がん剤は一回の分量を減らし、期間をおいて3回使用した。すると不思議なことにがんの影が消えた。その後はだめ押しにリツキサンという抗がん剤ではない高価な薬を8回使用して、母は無事退院することができた。以後K先生が暫くの間、M先生の指示に従ってMRI検査などケアしてくれて母のがんは完治した。

母は住みなれた自分の家で気ままに独り暮らしをする道を選択した。それは男と女房が母の面倒を良く看るという条件付きである。こうして今年93歳になる母は公的な介護支援を受けながら、それなりに自立した独り暮らしをしている。

男や女房にとって母が介護サービスを受けながらでもそのように自立して暮らしてくれていることは有難いことである。それでもここ数年、母に介護サービスを提供している施設やK病院から突然、「お母様が熱を出して入院しました」とか「少し熱があり体調を崩しています」などと電話がかかってくることがある。その都度男が帰省したり、女房が帰省したりしている。年寄りの体調は急変する。男と女房は母を老人施設に入れることが出来ぬまま長期間母在宅介護をしなければならないことになるかもしれない。