2011年5月9日月曜日

母の日(20110509)

 母の日はアメリカで行われていた風習を明治末期、日本でも真似るようなり、特に男が生まれた昭和12年(1937年)に、多分、森永製菓が宣伝効果を考えてのことだろうが、毎年第二日曜日を「母の日」としたことがあって、一般にその風習が広まったと言われている。その日は日本国の祝日でもなんでもない。但し、昭和初期から戦後しばらくまでの間は、皇后の誕生日であった36日が「母の日」とされていたという経緯がある。

アメリカの場合は、1905年、フィラデルフィアの一少女が、自分の母親が死んだとき、その日を特別な日として、生前の母親を敬う日とした話を、時の大統領ウイルソンが伝え聞いて、国として毎年5月の第二日曜日を「マザーズ・デイ(母の日)」として祝日にした。

 男は、この日本で、「父の日」とか「バレンタインデー」とか、どこかで勝手に決めた日が、あたかも国として決めた日のごとく、その日にちなんだことが風習化されていることに多少憤慨している。しかし、その日に親子間、恋人間など親しい間柄で何某かの交流が行われることは決して悪いことではないと思っている。

 女房に、二人の息子それぞれの夫婦から「母の日」にそれぞれ贈り物が届いた。男も女房にカーネーションひと束を買ってきてプレゼントした。このように折り目節目に贈り物をされて、女房は喜んでいる。

 女房は毎年母の日に、男の名前で3か所に贈り物をしている。その3か所とは、先ず産みの親、次に育ての親である義理の叔母、そして実の叔母である。ところが今年は体調を崩したためそれが出来なかった。これまで欠かさず毎年行ってきたことが、今年は出来なかった。女房はその3か所に電話を入れ、今年贈り物を出来なかった理由を話した。

 女房の産みの親は男の継母である。その母は今年の夏93歳になる。男はその母に電話を入れた。「お元気ですか?」とゆっくりとした口調で問うと「元気です。いつもありがとうございます。」と丁寧に答えてくれる。続けて「NHKののど自慢をみた?」「誰からからか電話が来た?」「誰か遊びに来た?」などと問うて独り暮らしの状況を確認した。


 母は「だーれも来ん。」「電話も来ん。」といつもの通りの言い草である。「T子から電話なかった?」と男は聞いてみた。「T子からも電話は来んよ。」と言う。そんなことはない。これもワンパターンのいつもの言い草である。T子は男の腹違いの妹である。

 その母は、32年前に死んだ男の父親の後妻として、わが家に来た男の継母である。男の父親はその継母を妻に迎えてほどなく教師に復帰することができて実家を離れたので、男はその継母と暮らした期間は数年間である。

一方、女房は継母がわが家に後妻として入ったとき4歳だったが、継母の実家に残された。以来、10数年間、母娘離れ離れに暮らしてきた。

男はわが家の長男である。男も女房も、男がわが家の長男であるという立場でその母と深い縁がある。特にその母がもう完治したが8年前がんを患って以来、夫婦二人一緒に年に4、5回帰省したりして、これまでずっとその母の面倒をみてきている。