2011年5月19日木曜日

認知症の年寄りの扱い (20110519)

 明日、男は女房と田舎に帰る。忙しくその準備に追われている夜10時前、93歳の母から電話が入った。「今、何処?」と。昨日、女房が母に「明後日帰るからね。17日の夕方になるよ」と何度も繰り返し話していた。これまで母は、女房が言ったことを忘れていることが多かったので、今度は忘れないように紙に書かせておこうと考えた、女房は「其処に紙と鉛筆がある?」と聞いたら「ある」と言うので、「今から言うことを紙に書いておきなさい」と言った。女房によれば、母はそのとおり紙に買いとめた様子だったと言う。

 ところが母は自分が紙に書き留めたことを忘れてしまっていて、我々の帰りをじっと待ち続けていたらしく、夜の10時前になって電話をよこしてきた。これは完全に認知症が始まっている。本人はそのことを全く自覚しいていない。男はそう直感した。

 最近の知見で、痴呆が始まった者に対しては、叱らないこと、笑顔で接することが良い結果を生むことが分かってきたという。NHKの「クローズアップ現代」でそのことが紹介されていた。認知症の患者に対して、①否定しない、②褒める、③役割を与える、ということが非常に重要であるという。

 認知症の患者でも、人の笑顔を読み取る能力は健常者と大差ないという実験結果があるそうである。加齢とともに喪失感が高まってくる。まして高齢の認知症の患者が、自分に出来なかったことを叱られると、その喪失感は一層大きくなり、徘徊したり、怒りを露わにしたりするのだという。

 田舎に帰る前夜にNHKで認知症のことに関する番組があったのは、決して偶然ではないと男は思っている。これまでそのような‘偶然’のようなことをたびたび経験している。巡り合わせが良いことがしばしば起きている。男は、それは決して‘偶然’ではなく、背後の何か、‘あの世’の行った人が導いてくれた‘必然’であると信じている。

 これまで母の言動が単なる物忘れによるものであったのか、認知症の初期の症状によるものであったのか判断が付かなかった。NHKのその番組を見て、男はこれは間違いなく認知症の初期の症状だと確信した。母はもう93歳にもなろうとしているので、普通一般には母の状態は「年寄りの物忘れ」だと片づけられるだろう。母の症状は若年認知症とは違うので扱いやすい。

 母はヘルパーの支援などを受けながら独り暮らしをしていて、わが家をよく守ってくれている。女房は、母が家の中や庭など外回りを綺麗にするのは、「年寄りが独り暮らしをしていて人に馬鹿にされたくない」という自負心から来ているのだと言う。男もそう思う。

 しかしそれはその家の長男である男にとって有難いことである。母は男の女房になった娘を通じて、男の家に立派な子孫を遺してくれた。男は母に、母がわが家のために立派な役割を果たしてくれたのだ、と何度か話したことがある。母は「だ~れも来ん」と、周囲が皆高齢になり、ヘルパー以外の訪問者が殆ど無くなってしまったことを嘆いているが、母は元気な間は独り暮らしが良いのである。母には叱らず笑顔で接して行こうと思う。