2012年4月25日水曜日


ミトコンドリア遺伝子3代(20120425)

 男と女房は今日も特養に入居している婆さんのところに行ってきた。婆さんはいつものとおり共用のダイニングルームの窓際の先頭に陣取り、Uさんと話をしていた。婆さんはこの施設に入居してUさんのほかもう一人旧知の人(女性)と再会している。つまり婆さんにはこの施設に入居して30数年ぶりに昔の友達と一緒になれたのである。

 婆さんがまだ元気なころは近所の人たちも元気で、また婆さんの夫、つまり男の父親の親友の奥さんだったKさん元気で、毎日のように誰かが婆さんのところに遊びに来ていた。ところが皆徐々に年を取り、動けなくなり、またあの世に行ってしまった。その代り婆さんのところに毎日のようにホームヘルパーが訪れていた。冬の寒い日など男や女房が横浜から婆さんに電話すると口癖のように「だあれ(誰)も来ん、電話も来ん」と言っていた。それがこの施設に入居したとたん親しい友達ができた。男は「これはあの世の親父がいろいろ努力したのであろう」と思った。

 男と女房が来たので婆さんは自分の部屋に戻った。その間一人では動けないUさんはダイニングルームでテレビを見ていた。婆さんのところには小さなアルバムを何冊か置いてある。女房は先日婆さんを散歩に連れ出したとき撮った写真をそのアルバムに入れて婆さんに見せてやっている。婆さんは「夜になると淋しいから(写真アルバムを)取り出してみるの。夕べもの見た」という。婆さんが見たのは45年前婆さんを水郷日田に連れて行ったとき撮った写真である。婆さんを車いすに乗せ豆田町の古い味噌屋の店内に非常に沢山のひな人形を飾ってあるところを見せたり、夜鵜飼船に乗って鵜匠の手綱さばきを見物したりしたときの写真アルバムである。婆さんは泣きながら「長生きしてあんたたちに迷惑をかけるねえ、わるいねえ、ごめんね」と言って泣いている。

 女房はいつものように婆さんに電話の掛け方を教えたり、着替えのことや整理ダンスの中の下着や靴下など引出ごとに整理し大きな字で書いて表示してえるこまごましたことを教えたり、「このトイレ(介護用椅子式)は使わないで、すぐ隣のトイレを使うようにした方がいいよ、お母さんはこのトイレを使わなくても動けるのだから施設の人の負担を少しでも軽くしてあげるように」と指導したり、あれこれ話をしている。男はそれを見ながら「やはり娘だな」と思う。育ての親ではないが矢張り血は濃い。

 施設からの帰りは散歩がてら歩いて帰った。道端に「タンポポが黄色い花をつけており、近くで鶯が鳴いている。「道の駅」に立ち寄り昼食を取り、出来たてのメロンパンなど買って帰る。「Sばあちゃん、お母さん(婆さん)、そしてM子(男の女房)と三代にわたりミトコンドリア遺伝子が伝わった。それでその遺伝子は終りだね」と男は女房に話す。

 人類の共通祖先は「一人のイヴ」と言うのは間違いで、今の全世界の女性に伝わったのは一人だけであるが、娘がいない男の女房のように、遺伝の途中で絶えたミトコンドリア遺伝子の持ち主は多数いた筈である。

 因みに今の世界中の男性のY遺伝子の元は6万年ぐらい前に遡るそうである。この日本列島にやってきた男たちは大陸からはみ出した人たちで、大陸に残った人たちとは異なる遺伝子を思っているそうである。女もミトコンドリア遺伝子の特徴として大陸にはないものがあるそうである。しかも7人の女性が祖先であるという。日本人は漢族・朝鮮族・満州族らとは異なる遺伝子を持ち、しかも多様性に満ちている。これが日本人の優秀性を特徴づけているのである。

 玄関の上り口に座して体が不自由な隣のAさんと女房が長話をしている。男は二人にコーヒーを出してしばらく話に加わった。Aさんは男が好きなせんべいとレンコン1本持ってきてくれた。「女房は、うちの主人はせんべいが大好きなんですよ」と言う。男はそのせんべいの袋を切って一枚口にし「これは美味しい!Aさんもどうぞ」と勧める。三人でAさんが持って来た柚子味噌せんべいを食べた。やがて男は玄関脇の部屋に去り、パソコンの電源スイッチを入れる。外では雨が降り始めた。雨だれの音、Aさんと女房の会話を聞きながらこれを書いている。