2012年5月3日木曜日


日本人の歴史観を妨げようと意図しているのではないかと疑う(20120503)

 上垣外憲一という学識者が書いた『倭人と韓人』という講談社学術文庫版を買って目を通している。その感想は、彼も江上波夫同様、津田左右吉の流れを汲む東京大学の偏向的歴史観に立っていると直感的に思わざるを得ない。以下敬称を略して記述する。

 上垣外憲一はこの本の中でこう書いている。(その部分を“”引用する。)
“天孫降臨の地が、いったいどこであったか、古来議論の絶えないところだが、「此地(ここ)は韓国(からくに)に向ひ」という一句を重視するなら、朝鮮半島の対岸にあたる北九州の海岸部を想定するのが自然である。・・(中略)・・仮に天孫降臨という現象が歴史の中においてありえたとするなら。半島南部から天皇家の祖先が渡ってきたのだ、という解釈が成り立ちうる。”

 “天孫が日向の高千穂に降臨したというのは、後に半島との対立が激化して、天皇家と朝鮮半島との連なりを抹消する必要を感じていた人びとによる造作であろう。・・(中略)・・天孫族の側からみれば、その順路は加羅→宗像→岡田(遠賀川流域)→東征とするべきである。加羅からの道を抹消したいために、海人族の発展経路をとりいれて高天原→日向→宇佐となったのであるが、そこからすぐに東征に移ったとすれば、話の道筋として何も問題はないのに、岡田宮の伝承も捨てがたく東征譚の中に残してしまったのだろう。”

 上垣外憲一は戦前の日本人が持っていた歴史観を認めることをよしとせず、一つの「仮定」を正しいものでるとするべく、史料や資料を集めて論証しようとしているように見える。彼が書いていることは如何にも客観性があるように見える。1984年から約1年間韓国ソウル大学の韓国文化研究所に籍を置いていたという彼は、言葉が巧みに日本人を洗脳しているように見える。だからこの本を読む一般の人々は、戦前日本人が持っていた歴史観を今さら受け入れる必要はないと思ってしまうことだろう。結果的に日本人は自らのアイデンティティを失ってしまうだろう。

戦後最も大きな問題は「日本固有の伝統文化・精神文化の衰退」と「文化の混血」である。「文化の混血」は絶対あってはならない。異文化流入による「文化の自然変化」はあっても「文化の混血」は日本人のアイデンティティを失わせるものである。そうならないために、日本人、特に若者は日本の伝統文化に親しみ、これを世界に発信する努力をして欲しいと思う。自国の伝統文化・精神文化に誇りを持たず、外国人に説明もできないようでは情けない。若者が文武両道を修める努力をしないようでは情けない。

日本は万世一系の天皇を頂く「単一民族」である。その原点を戦後の日本人は見失っている。その最大原因は「教育勅語の廃止」であった。「教育勅語」は制定後英語・フランス語・ドイツ語・ロシア語・漢語に訳して世界中に配布し公表を得ていた普遍的な徳目である。これを先ず衆参両院議決をもってこれを復活させることが喫緊の課題である。同時にGHQ支配下で制定された憲法を自主憲法に改正し、「国家の背骨」たる国防軍を創設することが必要である。

遺伝学的には日本人のミトコンドリアDNAにおいてもY染色体DNAにおいても世界で類を見ない多様性に富んでおり、しかも基層タイプ日本人固有のミトコンドリアタイプM7aY染色体DNAタイプD2がそれぞれ相当の割合で分布している。このことは日本人がある意味で「多人種混血種」であると言える。

日本人は天皇を「家長」或いは日本の各家の「宗家」とするような、ある意味で「日本一家」のような国である。このような国は世界中探しても存在していない。このことは日本国・日本人が世界の中で「自存する」・「生き残る」力の強さを意味していると考えられる。

歴史書『日本書紀』等では、新羅人・高麗人・漢人・渤海人らが天皇の高貴さ・徳を慕って日本にやってきていることが書かれている。決して「日韓同祖」ではない。このことを若い世代の日本人はよく認識すべきである。