2012年5月11日金曜日


日本が生き残って行くためには「皇室を守り抜くこと」しかない(20120511)

 一つの空想的地政学と歴史を語りたいと思う。参考とする本は安田喜徳著『古代日本のルーツ 長江文明の謎』(青春出版社)、古田武彦著『日本列島の大王たち』(朝日文庫)、倉野憲司校注『古事記』(岩波文庫)などである。

オバマ大統領が同性婚を認める発言をした。現代の「西ローマ帝国」アメリカ合衆国はモラルの低下により滅亡への道を歩み始めた。一方、現代の「東ローマ帝国」ロシアはプーチン大統領が朝鮮半島とオホーツ海・千島列島を通じてその勢力圏を拡大しよう考えているように見える。北方領土問題の解決はその一里塚になるだろう。現代の「西ローマ帝国」圏と「東ローマ帝国」圏の狭間にあって漢族主導のシナは第一列島線・第二列島線を引き、現代の「西ローマ」帝国及び「東ローマ帝国」と睨み合っている。そういう状況下、シナを警戒する東南アジア諸国やインドなどが日本を味方に付け、シナや「西ローマ帝国」と適度な距離を保ちながら、その「自存」を図ろうとしている。

古代、日本はシナの冊封体制に入ることを拒否し、「日出る国」の天子から「日没する国」シナに対等の姿勢を取っていた。しかしそれは日本に統一国家が成立した以降のことで、それ以前は北九州の大王は「日没する国」の皇帝に使いを送り、王権の承認を求める一方で、朝鮮半島南部や遠くは出雲や日向にいたる広い範囲に支配力を及ぼしていた。朝鮮半島には多くの倭人たちが進出していた。鳥取県は奈良時代以降江戸時代まで「越後」国であり、その「越」と長江流域の国「越」とは関係がある。 

北九州の大王が統一していた国々の人々は『魏志倭人伝』に書かれているように皆「倭種」であった。「倭種」の国々とはどういう国々であったかというと、それは苗族など長江中流域の民との間で「住み分け」或いは「混血」を含むつながりを持った縄文人、渡来系弥生人と混血した弥生人、つまり我々日本人の遠い祖先が築いていた国々である。我々日本人の遠い祖先は、漢族の圧迫を逃れて4200前年頃から日本に渡って来た長江中・下流域の苗族の人々や、その後それらの人々と漢族の人々が混血した人々、つまり渡来系弥生人と縄文人とが混血しながら築いた国々であった。

長江中流域の文明は6300年前(紀元前43世紀)に誕生した。その長江中流域の河姆渡遺跡から出土した物と日本の三内丸山遺跡から出土した物とが驚くほどよく似ているという。河姆渡遺跡は7000年から5000年前に稲作を行っていた遺跡である。その出土品には鹿角斧(ろっかくふ)や漆やひょうたんや豆類などがある。河姆渡遺跡の出土品から推定される「太陽信仰」・「鳥信仰」・「蛇信仰」と古代日本の「天照大神」・「八咫烏」・「ヤマタノオロチ」とは相通じるものがある。また、紀元前300年から200年ごろまで長江中流域に住んでいた苗族の高床式建物や屋根の千木は正倉院や出雲神社の屋根と似ている。また祝い事の餅つきなどは日本とよく似ている。漢族の圧迫を逃れ日本にやってきた苗族の人々は弥生時代を開く役割をしたのである。彼らはジャポニカ種の稲も持ち込んだが、縄文人は栗などを採取をして食物にすることで足りていたので、その当時稲作は余り広がらなかった。

鳥取県淀江町の角田遺跡は弥生時代中期の遺跡であるが、其処から羽飾りを付けた人4人と舟が描かれている土器が出土している。羽飾りを付けた人は「羽人」と呼ばれ、「羽人」たちは出雲大社のような大きな建物に向かって舟を漕いでいる。この出土品とシナの雲南省石寨山遺跡から出土した滇王国の青銅器に彫像されているものとよく似ている。この彫像の「羽人」は9人で、船首の1人を除いて他はオールをもって船を漕いでいる。

雲南省の滇(てん)池のほとり紀元前400年から紀元後100年くらいの間に栄えた滇王国は、世界的な低温化の影響を受けて後漢や日本の弥生時代とほぼ同時期に滅亡している。このとき造船・航海など高度の技術を持っていた人びとが日本に渡ってきている。弥生時代の終りとともに日本の社会は母系社会から父系社会に変わった。しかし日本にはまだ稲作・漁撈の平和な文化が続いていた。但し、長江流域の民の文化であった。そのことは『魏志倭人伝』に書かれているとおりである。魏の「新聞記者」たちは倭人(当時の日本人)の穏やかな、秩序ある暮らしぶりを書いている。

日本に騎馬民族の流れを汲む北方の畑作・牧畜の民が渡って来たのは、第十代崇神天皇の御世である。『古事記』に「この天皇の御世に、疫病多(えやみさは)に起こりて、人民(たみ)死にて盡(つ)きむとしき」とある。紀元前97年から30年の間、北九州王朝の大王だった可能性のある御眞木入日子印惠命(崇神天皇)の御世、日本にやって来た渡来系弥生人たちが持ち込んだ家畜が、人々に感染するウイルスも持ち込んだため、免疫力のない非常に多くの人々が斃れたのである。この渡来系弥生人たちは、長江中下流域から日本にやってきた人々とは別系統の人々である。しかし彼らもこの日本列島で混血し、我々日本人の祖先となった。

騎馬民族の流れを汲む人々の子孫の中には妃となった女性もいたであろう。事実、神功皇后の遠い先祖は新羅からきたことが『古事記』に書かれている。桓武天皇のご生母は百済の王族の末裔である。しかし皇室の起源が朝鮮にあるなどと言うのはとんでもないことである。日本人の祖先と韓国・北朝鮮人の祖先とは決して同じではない。「騎馬民族説」は学問的な掘り下げが足りない。「騎馬民族説」を信じ「天皇の祖先は朝鮮人である」などとわざわざ韓国の大学生の前で講演し、何百人もの国会議員らを引率して、まるで「冊封」を得るが如くシナの「共産党王朝」詣でをした小沢一郎氏は大政治家かもしれないが、この日本の国体を危うくしかねない政治家である。

貿易や経済には国境はない。「商道」には国境は不要である。しかし「政道」は国体を護持することにある。「理想的平和主義」のもと日中韓の国境をなくしてしまうような方向にこの国を導こうとしている与野党の一部政治家たちは、自分たちが何処から来たのかよく知り、古来皇室がどういう機能をもってきたかよく考えるべきである。天武天皇が『古事記』『日本書紀』の編纂を命じたのは、日本が漢族中心の国・自ら「中華」という国・シナの属国にならないようにするためだったことを知るべきである。

現代の「西ローマ帝国」が衰退した隙をシナは狙うだろう。そういう状況にあっても「日出る処」の国・日本が生き残って道は、国体の護持、即ち皇室を守り抜くことしかないのである。夫婦別称・外国人参政権・同性婚などとんでもないことである。古来、皇室は聖なる存在で、日本国の道徳の鏡となってきた。このような国は世界中どこを探しても存在しない。似非歴史学者のいう事などに絶対惑わされてはならないのである。