2012年5月9日水曜日


『魏志倭人伝』の卑彌呼は、単一人ではないと思う(20120509)

ヒミコは神功皇后と、古代北九州の王家の統領(ヒミコ及びその後継者トヨ臺與))との合成かもしれない。『三國志・魏書巻三〇東夷傳・倭人』(所謂『魏志倭人伝』というものは、3世紀のシナの魏から日本にやってきた複数の「新聞記者」たちが個別に通訳を交えて見聞したことをまとめて文書にしたものだと考えられる。その記事の中には真実もあり、優越意識で記述した部分もあると見られる。

真実と見られる部分の一例は、「其の風俗淫ならず」(その風俗は淫らではない)・「婦人淫せず、妬忌せず」(女性は淫らではない、嫉妬しない)・「盗竊せず、諍訟少なし」(盗みやかすめ取ることはない、訴訟は少ない)・「郡の倭国に使いするや、・・(中略)・・文書賜道の物を傳送して女王に詣らしめ」(『魏志倭人伝』では、日本国内の諸国の人々のことを「皆、倭種」と書いているので、ここは“女王卑彌呼の政庁に諸国から文書や物資を送って”と解釈する)などである。当時の日本国内で文書や物資の往来があったのであろう。

優越意識で記述したと思われるのは、「中国」という言葉が随所に見られることである。シナ人は古来、王朝が変わっても自分の国の文明・文化が世界で最も進んでいると思っている。周辺諸国は動物に見立てて軽蔑している。日本は「東夷」であった。

そういう優越意識があるから、「男子は大小となく、皆黥面文身す」(男子は大人も子供も皆身体中に刺青をしている)・「朱丹を以って其の身體に塗る、中國の粉を用うるが如きなり」(朱色の塗料を体に塗っている、それは中国で粉を用いるようである)と、当時の日本人を軽蔑したような書き方をしている。祭祀行事に一部の人々がそのような格好をしていたのを、常時そのような格好をしていたように記述しているのだと思う。

私は岩波文庫の昭和26年第一刷発行の第二九刷版(昭和48年)の『魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』と昭和31年第一刷発行の第一五刷版(昭和47年)を所有している。最近購入した講談社学術文庫『倭国伝』には副題で「中国正史に描かれた日本」とあり、その内容は後漢書が先に紹介されている。歴史書やその解説本にはある意味でイデオロギーが反映されているので、歴史書は批判的な読み方をしなければならないと思う。

それはともかく、『魏志倭人伝』に書かれた「女王・卑彌呼」は当時の日本国内で絶大な権力をもっていた人物に違いなく、その権威は天皇につながる人物であるがゆえに示されるものであると考えられる。

古田武彦著『日本列島の大王たち』(朝日文庫)という本がある。この本には紀元前から北九州に大王が存在していたことが具体的な史料をもとに説明されている。広開土王碑にはその大王の配下の倭人が朝鮮半島北部まで勢力を延ばしていたということが判る記録が残っている。倭人たちは紀元前から5世紀,まで朝鮮半島で活躍していたのである。なお、この広開土王碑には広開土王(高句麗好太王碑)の先祖(始祖)は紀元37年に夫余で高句麗の基を始めたと書かれている。

近畿地方に日本国内を統一する権力が拡大しつつある頃、北九州を支配していた王権が消滅しつつあったという見方をすれば、『魏志倭人伝』に書かれた女王・卑彌呼は神功皇后その人と、古代北九州の王家の統領・ヒミコとその跡を継いだヒミコの宗女のトヨ(臺與)の三者が重なって書かれているものと考えられる。