2012年5月18日金曜日


聖武天皇(3)「渡来帰化した人々も皆同じ日本人」(20120518)

  日本は移民の受け入れが少ないと言われているが実はそうではない。古来、日本に非常に多くの人々が朝鮮半島から渡来し帰化し、皆日本人になっている。それだけではなく韓国籍・北朝鮮籍のまま非常に多くの人々が日本に永住的に居住している。その韓国人たちが自分たちの政府の後押しでソウルの日本大使館の前にも世界各地にも従軍慰安婦像を建設し、自らの同胞の韓国人の屈折した対日感情を煽りたてている。

 従軍慰安婦など全く存在していなかった。日本軍兵士相手に自発的に自分の肉体を提供し金を稼いでいた朝鮮の女性たちは沢山いたが、日本政府または日本軍がそのようなことを強勢的に行わせていたという事実は全くない。この問題の発端は、千田 夏光(せんだ かこう、1924828 - 20001222 本名:千田 貞晴)という一日本人小説家が書いた小説の中で「従軍慰安婦」という言葉を造語し、その小説が売れて韓国人の屈折した反日感情が高まって「嘘」が「真実」のようになり、自虐史観に捉われていた政治家・河野洋平氏がそのような嘘の話をまともに信じ、河野談話まで出して韓国に謝罪したことにある。

一部の(或いは多くの)韓国人は従軍慰安婦や竹島や日本海呼称のことや、また剣道・茶道・華道など日本固有の文化の起源が韓国にあるかのように世界中で宣伝していることなど盛んに反日的プロパガンダを行って日本人の感情を損ねている。これは長い目で見れば決して韓国のプラスにはならないだろう。韓国政府が指導して幼稚園児までもが「竹島は韓国領土」と歌わせているのは異常だとしか言いようがない。

今特別視されている日本に永住的に住んでいる韓国籍・北朝鮮籍の人々の中には、日本に帰化し、日本に溶け込んで各界で活躍している人びとが非常に多い。これらの人々は今後100年もしないうちに皆、万世一系の天皇を頂く日本人の一員になることだろう。日本と韓国の明るい未来のため、韓国政府は日本と韓国の古来の歴史を正しく認識し、韓国人が反日的感情を持たないように導くべきである。

引き続き『続日本紀』から関心事のみを“”で引用する。
 “四月十八日 この日、月が熒惑(けいわく)(火星)を犯した。”
 “五月十三日 次の者にそれぞれの氏姓を賜った。(後略)”

 『日本書紀』『続日本紀』などには、日本に渡来してきた人たちに天皇が氏姓を賜う記事はよく出て来る。現在の日本人の「氏」の呼び名は天皇から賜った氏姓から来ているものもあり、中央から地方に下向した貴族などが下向先の地名などを元に付けたものもあり、領主から与えられたものなどいろいろある。江戸末期の歴史家頼山陽の「頼」だけ見れば、彼は一字であるのでその出自は大陸系かと思う人も居るかもしれないが、頼山陽の「頼」は戦国時代の落ち武者「岡頼」氏に由来すると言われている。その岡頼氏の遠い祖先が何処の出身だったか知る由もない。

戦前朝鮮半島の人々は本名とは別に「日本名」をもっていてそれで通用していた。戦後はその名残で「通名」が使われていてその人が日本国籍なのか韓国・北朝鮮籍なのか全くわからない。名前だけ見れば皆日本人独特の名前になっている。

古代、東漢氏と呼ばれていた人びとは後漢滅亡後日本に渡来してきた漢人や韓人集団で、阿智使主の直系の子孫は天武天皇より忌寸(いみき)の姓を賜っている。征夷大将軍坂上田村麻呂の姓は忌寸である。後世桓武天皇の御世、「自分の先祖は忌寸姓であった」と主張して桓武天皇からその氏姓を賜った人たちがいる。それらの子孫も今では先祖が忌寸姓であったことなど全く知らない人たちが圧倒的に多いだろう。まして特別な家柄でもない限り、東漢氏であったことなど全く分からいであろう。栄枯盛衰、かつて栄えた家柄も落ちぶれて見る影もない家となってしまっている人たちも非常に多いだろう。

名字と氏姓とは別である。封建時代公には名字を名乗ることを禁じられていた家でも非公式には名字はあり、家紋があった。家紋は氏・素性のルーツを示すもことがある。古代朝鮮半島などから渡来した人々の子孫も、今では一部を除いてその人々のルーツは全く分からなくなってしまっている。一世代25年として1000年も経てば、一組の父母の子孫は単純計算で240乗の人数、つまり1兆人になる。地縁血縁社会での重複による濃淡はあるにせよ、血は混じり切っている。皆日本人になってしまっているのである。

こう考えると、今、日本に在住している韓国・北朝鮮籍の人たちもいずれ皆日本人となり、自分の先祖が誰であるか全くわからなくなってしまうことだろう。今、盛んに行なわれている従軍慰安婦・竹島・日本海呼称・日本文化乗っ取りなどの反日的プロパガンダは、結局その人たちの為にはならないのである。「馬鹿なことは止めよ」とその人たちの同胞に働きかけて貰いたいものである。