2012年5月21日月曜日


聖武天皇(6)「今光明最勝王経」(20120521)

 聖武天皇の御世・神亀二年(725)に次のことがあった。興味ある部分を“”引用。
“六月二十二日 太白(金星)が昼に見えた。”
“七月十七日 七道の諸国に次のように詔した。

災(わざわい)を除き幸いを祈るには、必ず幽冥(奥深い神の力)をたよりとし、神を敬い仏を尊ぶには、清浄であることを第一とする。今、聞くところによると、天神・地祇を祭る諸国の神社内には多くの汚れた悪臭があり、各種の家畜を放し飼いにしているという。神を敬うための礼儀が、どうしてこのようでよいであろうか。国司の長官自らが幣帛(みてぐら)を神に捧げ、謹んで神社の清掃を行い、それを年中の行事とせよ。また諸寺院の境内はつとめて払い浄めよ。そのうえで僧尼に今光明経(こんこうみょうきょう)を読ませよ。もしこの経がなければ、最勝王経(さいしょうおうきょう)を転読させ国家を平安にさせよ。”

この時代の神社やお寺はどのようなものであっただろうか?神社内に各種の家畜を放し飼いにしていたということは興味深い。ただ、日本がシナや朝鮮に対して誇れることは、日本は1300年の昔、全国的に仏教を広め、「清潔」の観念を広めたということである。シナの皇帝やその冊封体制下の朝鮮の王と違い、天皇は日本民族の家々の「宗家」のような、或いは「日本一家」の「家長」のような存在であったということである。

聖武天皇は、「災を除き幸いを祈るには、必ず幽冥(奥深い神の力)をたよりにせよ」と仰せられた。如何に科学が発達しようと、科学を超越する「何か」が必ずある。それを恐れないならば、必ずばち(罰)が当たる。そのことは体験的に知ることである。勿論、科学万能の考え方をする人は、体験的に知ることはないだろう。自分に起きた不思議なことも不思議とは思わず、偶然に起きたと思っていることをわざわざ「必然」の現象であるとは決して考えないだろう。しかし、人間はそのように傲慢で良いのだろうか?

聖武天皇は仏教を広めることを政治を行う上での基本的な思想とされた。聖武天皇が読めと仰せられた金光明最勝王経には次のようなことが書かれている。(大法輪閣版『新訳仏教聖典』より“”で引用する。)
“すべて仏(ほとけ)に於いては、三種(みいろ)の身(からだ)が備わって居(い)る。・・(中略)・・三種の仏の身とは、化身(けしん)と応身(おうしん)と法身(ほうしん)とである。

化身というのは仏(ほとけ)が人人を救おうために、かりに人の世に生まれて道を求むる相(すがた)を示し、種々(いろいろ)の法(のり)を究(きわ)めて覚(さとり)を開き、ついで能(よ)く人人の根機(ちから)を知り、時を知り所を知って、それにかのうたように身を表して法を説くものである。汝等(おんみら)の眼(まなこ)に映(うつ)ろうて来た各自(めいめい)の知る仏(ほとけ)は、皆この仏であって、それは人毎(ひとごと)に見るところを異(こと)にしていたはずである。

次に応身と言うのは、仏が求める人のために直ちに真諦(まことのことわり)を説き述べて方便(てだて)の法を用いず、ただ肉体(からだ)に執(とら)われず或いは歓(よろこ)び或いは怖(おそれ)れつする心を除くを旨(むね)とし、限りない仏法(みのり)の大本(おおもと)となって居(お)るもので、これはものさながらの理(ことわり)と、それを悟(さと)る智慧(ちえ)から生まれ出る本願(ねがい)の力によって現れたものである。

終わりに法身というは法(のり)そのものを身とすることで仏の身の大本(おおもと)は、この世のあるがままの理(ことわり)と、それを知る智慧(ちえ)との一つになった法(のり)にある。前の二つの身(からだ)は仮りの身で、この法身から現れたものである。”