2012年5月12日土曜日


日本は“「日出る処」の国”に立ち返ろう(20120512)

フィリピンが南シナ海のフィリッピンに近い岩礁の領有権をめぐってでシナと対峙している。シナはフィリッピンからアメリカ軍が撤退した隙に南シナ海に浮かぶ小島群南沙諸島の領有を主張し始めた。フィリッピンではシナの大使館の前で激しい抗議デモが行われた。そのデモでフィリッピン人が掲げる横断幕には「中国」とは書かず「シナ(China)」と書かれている。日本や韓国などがシナを「中国」と呼んでいる。シナ人が自国のことを「中華人民共和」の国「中国」と言うので、日本などではそれをそのまま受け入れている。ちょっとおかしいのではないだろうか?

彼らが自国を「中国」と言うのに「シナ」と呼ぶのは決して軽蔑の意味で言っているのではない。彼らの思想が「中華=世界の中心」という尊大なものであるので反発しているだけである。彼らは何千年も前から自分たちの国を「中国」と呼んできた。日本が「隋」「唐」「宗」「元」「明」「清」など言ってきたのは、彼らの言う「中国」の王朝の国家名である。幕末まではそういう王朝名でその国を呼んでいた。現代のシナを同じパターンで呼ぶとすれば「中国共産党指導国家」略して「中共」と呼ぶべきである。

ともあれ「中国=世界の中心の国」思想は気に入らないが、現実の対応において彼らが「中国」の名のもとに我が国に対して尊大な態度をしない限り、「中国」と呼ぶことはやむを得ないと思う。問題は、日本の政府が彼らの言う「中国」に対して、古代「日出る処」の国のような意識でものを言うかどうかである。ここのところは、一度シナと日本の政府レベルでざっくばらんに話し合うべきである。

その尊大なシナは、高村元外務大臣がシナを訪れた時、習近平次期国家主席予定者は、「尖閣は中国領」と言った。そのような主張に対して日本の識者は「国家は利己的である」と考えるだけである。東條元首相も遺言の中で同じようなことを書いている。しかし、ことシナに関して「国家は利己的である」という範囲を超越している。シナの漢族の人たちの深層心理には古代から変わらない「選民思想」がある。世界中がシナの「天子」のもとに服するべきであるという思想があるようである。日本の政治家や識者やマスコミはシナに対して及び腰である。「サムライ」の腑抜けのような態度である。今一度聖徳太子のような腰の据わった人が現れてくれないかなと願う。「日出る処」の国・日本!しっかりせよ!

それはともかく、シナのそのように非常に強烈な自尊心は、別の観方をすれば決して悪いことではない。そのような自尊心があるから、シナ人はノーベル賞こそないものの、世界で初めて一文字で多くの情報を即座に読み取ることができるような漢字を発明し、紙を発明し、火薬を発明し、ロケットを発明し、アメリカ大陸を発見したコロンブスの船よりも4、5倍も大きい船の船団による大航海で東南アジアからインド、アフリカまで大航海している。この大航海はヨーロッパの大航海時代よりも70年早かった。近年では先進国の技術を真似て「純国産」と言ったりしながらアメリカやロシアの向こうを張って有人宇宙ロケットを打ち上げたり、新幹線を走らせたりしている。同じアジアの国の、日本人の血の中にも彼ら漢人の血も混じっているそのシナが、アメリカやロシアに対抗して「大国」らしく振る舞っていることは日本にとって良いことである。

日本は、シナに対して「中国」の国名の意義を質し、シナが日本にたいして決して尊大な態度は取らないようになるならば、現代の「西ローマ帝国」のようなアメリカは、TPP問題も含め日本に対して一目置いた態度に出るようになるだろう。そのためには日本は核武装もし、長距離ミサイルも持ち、大海軍を持つ必要がある。要は、日本の政治家や官僚が「日出る処」の国と言う意識を強烈に抱くかどうかである。一般大衆の意識も、もし日本にそのような指導者が現れれば変わってくるはずである。

ところで、鄭和は現在の雲南省昆明市南部の昆陽で生を受けているので、もしかして彼のルーツは日本にもやって来た長江流域の民と同じであるかもしれない。日本人は日本の個々の歴史的事実のことは別に置いて自らの出自・アイデンティティを確認し、神代から神武天皇にいたる歴史観、神武天皇以降今上陛下に至る万世一系の天皇がいる国という歴史観を持ち、「千代に八千代に」続くよう皇統と皇室を守り抜く強い愛国心を持たなければならない。重要なことは「歴史」ではなく「歴史観」である。日本の再生は先ず其処から始めなければならない。