2012年5月31日木曜日


聖武天皇(16)「主権とは? 民主党は日本国を分解させようとしている」(20120531)

 国家において「主権」はその国家にしかない権力・権利であるが、よく「地域主権」という言葉を耳にする。野田総理と小沢元代表が会談し終わって小沢氏は記者団の前で何度か「地域主権」という言葉を使った。この言葉は民主党政権が公約に掲げた「地域主権改革」に発するものである。

 国家が特定の地域の「主権」を認めれば、その国家はまとまりのない国家になるだろう。そもそも「主権」とは「①その国家自身の意思によるほか、他の意思に支配されない国家統治の権力。国家構成の要素で、最高・独立・絶対の権力。統治権」であり、「②国家の政治のあり方を最終的に決める権利」である(広辞苑より)。

 民主党は有志議員による「外国人選挙権議員連盟」を発足させ30日初会合を行った。この目的は永住外国人住民の法的地位向上を推進することである。この議連のメンバーには元外国人、或いは親が元外国人で日本国籍取得後国会議員になった人も多数いるであろう。「地域主権」を掲げる真意は何処にあるのか、日本国民はよく考える必要がある。

 古代、日本に非常に多くの韓人(百済人・新羅人・高麗人)・渤海人・シナ(漢)人らが日本に帰化していることが『日本書紀』『続本後紀』などの史書に記録されている。これらの人々は天皇から氏姓を与えられ、それぞれの故国における地位に応じて位階を授けられ、居住地を与えられ、また有能な人は中央官人として取り立てられて朝廷に貢献している。朝廷は帰化人たちの兵役・税を免除し、生活のため田を与え、日本語の教育を施している。

大東亜解放戦争後日本に残留し、また戦後新たに日本に渡って来た非常に多くの韓国・北朝鮮の人たちは日本で永住権を与えられ、二世・三世等その子孫たちは日本に帰化した人が多い。彼らの子孫も数世紀も経ないうちに皆日本人になるだろう。地方自治体で永住外国人に参政権を付与することは間違っている。本屋の店頭に平凡社から出されている『在日朝鮮人ってどんな人?』という本が並べられていた。書いた人は大学教授徐京植(ソキョンシク)氏である。立ち読みして感じたことは、差別があったという実例をあれこれ挙げて訴え、故に外国人参政権が与えられるべきであると主張しているものである。権利だけを主張し義務・責任を棚に上げ、ただ「良いところ取り」だけをしようとしているということである。民主党の政権公約と軌道を一にするものである。「地方主権」など決して許してはならないことである。

聖武天皇の御世、渤海が日本との友好関係を保っているなか、新羅が日本との関係を断ち切ろうとする動きがあった。背後にシナ(唐)の動きがあった。朝廷は最後には新羅からの使いを「無礼だ」として追い返させた。その後でも日本からは新羅に然るべき地位の職員を派遣して新羅の動静を探らせていた。渤海からは聖武天皇崩御以降も朝貢が継続していた。これこそ「主権」の行使である。『続日本紀』から“”で引用する。

“天平三年(731) 五月十一日 新羅使の金長孫ら四十人が入京した。”
“五月十九日 金長孫らが天皇に拝謁し、種々の・・(中略)・・をたてまつった。そして来朝の期年についてどうするかをお伺いした。”
 “五月二十一日 金長孫らを朝堂で饗応した。天皇は来朝の期年は三年に一回でよいと答えられた。”

 “天平七年(735) 二月一七日 新羅(しらぎ)使の金相貞らが入京した。”
 “二月二十七日 中納言・正三位の多治比真人県守(たじひのまひとあがたもり)を、兵部省の庁舎に遣わし、新羅使入朝の趣旨を尋ねさせた。しかし新羅国は国号を軽々しく改めて王城国と名乗った。これによって礼を失っするものとして、その使者を追い返した。”

 “天平九年(737夏四月一日 使者を伊勢神宮・大神(おおみわ)神社・筑紫の住吉・八幡の二社および香椎宮(かしいのみや)(仲哀天皇を祀る。福岡市東区香椎)に幣帛(みてぐら)を奉り、新羅国の無礼のことを報告した。”

 “天平十年(738)六月二十四日 大宰府(だざいふ)に使者を遣わして、新羅使金想純らを饗応し、そのまま帰還させた。”