2012年5月7日月曜日


新羅は三韓征伐の神功皇后の父祖の地であった(20120507)

私は皇室や日本人のルーツについて探求することを趣味としている一人の無学な市井の老人であるが、皇室が騎馬民族の出であると主張する著名な歴史学者たちに反論を試みている。それは象が蚤に喰われた程度のものでお笑種である。

しかし知識や固定観念は真の問題の発見を妨げる。「日本の文明・文化の素が朝鮮半島経由で日本にやってきている」というような固定観念や、一方で『日本書紀』に書かれていることを完全な歴史書として考え、そこから一歩も出ようとしない考え方や、またシナの魏書・宋書などに書かれている日本の歴史を丸呑みすることには、日本の正しい歴史の発掘を妨げるものである。

日本人の共通の母親は7人いると言われているので、日本の神話と共通なものは地球規模で存在している。『日本神話の源流』の著者・吉田敦彦はそのことを指摘しつつも日本の神話の源流が韓国にあると書いている。この本を読んだ者は「日本の文明・文化の素が朝鮮半島経由で日本にやってきている」というような観念をもってしまうだろう。一部の(あるいは多数の)韓国人は日本を貶めたくて茶道・華道・剣道など日本固有の文化までもオリジナリティは韓国にあるとのプロパガンダを推進している。

韓国語と日本語とは語順が同じで漢字で書くと同じ言葉が多いのは、次のことがその背景にあると考えれば説明がつくと考えられる。『日本列島の大王たち』の著者・古田武彦は、『日本書紀』はヤマト王権樹立後、北九州王朝の歴史を取り込んでいると事例をあげて説明している。古田武彦は神功皇后が三韓征伐に成功したのは、彼女の母系を辿れば新羅が彼女の父祖の地であったからだと応神記にある系譜を示して説明している。
ヤマト王権が樹立された後、神武天皇の本家筋の北九州の大王の歴史がヤマト王権の歴史としてとりこまれた。
ヤマト王権が成立するずっと以前から、北九州の大王の勢力は朝鮮半島北部まで広がっており、多くの「倭人」が朝鮮半島に住んでいた。
神功皇后の三韓征伐は、実は北九州の大王の血を引く神功皇后が、朝鮮半島にいた倭人の軍隊を動員して行われた。
魏志倭人伝に書かれている「ヒミコ」は、北九州の大王の祖先の天照大神のことであって、と三韓征伐を指揮した神功皇后のことが「魏志」には「ヒミコ(=天照大神)」と書かれた。
神功皇后はヤマト王権成立後大和盆地に移動し、其処で薨去した。