2012年6月4日月曜日


聖武天皇(20)「東大寺盧舎那仏と華厳経」 (20120604)

 聖武天皇は護国のため「金光明最勝王経」を全国に広められた。『続日本紀』には、“神亀五年(七二八)十二月二十八日 金光明経(こんこうみょうきょう)六十四部計六百四十巻を諸国に配布した。・・(中略)・・経の到着次第に転読させることにした。国家を平安ならしめるためである”とある。

 聖武天皇はまた奈良の東大寺に「盧舎那仏」金銅像を建立するよう詔された。『続日本紀』には、“天平十五年(七四三)十月十五日、(前略)ここに天平十五年、天を十二年で一周する木星が癸未(みずのとひつじ)に宿る十月十五日を以て、菩薩の大願を発して、盧舎那仏(るしゃなぶつ)の金銅像(こんどうぞう)一体をお造りすることとする。国中の銅を尽くして像を鋳造し、大きな山を削って仏堂を構築し、広く仏法を全宇宙にひろめ、これを朕の知識(ちしき)(仏に協力する者)としよう。そして最後には朕も衆生(しゅうじょう)も皆同じように仏の功徳を蒙り、共に仏道の悟りを開く境地に至ろう” とある。
  
その盧舎那仏について、森本公誠著『世界に開け華厳の花』(春秋社)に「仏教の現代的意義」と題して次の記事がある。“仏教の特性は、シャカムニ=ブッダが人間存在そのものの諸問題に取り組み、それによって永遠のやすらぎを得たというブッダの内省を出発点としていることにあります。そこには「神の宗教」という考えはありませんし、人間に対する神という観念もありません。・・(中略)・・
 
仏教は唯一なる神が存在するか否かの問題に係わることなく、いわば「人間の宗教」として、万人救済の宗教たる可能性をもっているといえます。・・(中略)・・仏教とは何かと問われた場合の答えとして、仏教を集約的に提示できないものかと考える昨今であります。
 
この点、少なくとも私としては、仏教の根本は慈悲の心と空の思想にあると考えています。慈悲とは、たとえ地獄に落ちたような人にでも手を差し伸べる、そのような優しい心のことであり、空の思想とは、互いに対立する要素であっても、必ずやその対立を解消できる、言い換えれば相対化できる道はあるのだという意志の力のことであります。

これに、現在の地球環境が抱えているさまざまな問題を考慮するとすれば、仏教のなかでも「華厳」と呼ばれる思想を加えねばならないでしょう。『華厳経』は語りかけています。地球上のあらゆる要素は、すべて網目のように何らかの繋がりをもち、また名もなき野辺の花にも価値があるように、その網目のすべては、なんらかの光を放っていると。”

また著者は「華厳蔵世界海――インドから伝わった宇宙論」と題して、(聖武天皇が創建された)“東大寺はおよそ1250年前、日本における仏教の中心部、現在でいえば国立の総合大学のような役割を担って創建されました。・・(中略)・・大仏さまの蓮華座の各蓮弁に彫られていた華厳蔵世界図は、幸い災禍を免れた部分も多いので、その全体図を復元できます。・・(中略)・・

かいつまんで言えば、これは大仏さま、要するに本尊ビルシャナ仏の宇宙的な世界を表現したものなのです。『華厳経』が説く宗教的世界観を図像化したものと言えばよいのでしょう。(後略)”