2012年6月9日土曜日


万葉集「風交じり 雨降る夜の 雨交じり 雪降る夜は すべもなく」(20120609)

巻五 八九二及び八九三「貧窮問答(びんぐうもんだふ)の歌一首 幷びに短歌。「山上憶良頓首謹上す」とある。

風交(ま)じり 雨降る夜の 雨交じり 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩(かたしお)を 取りつづしろひ 糟温酒(かすゆざけ) うちすすらひて しはぶかひ 鼻びしびしに 然(しか)とあらぬ ひげ掻き撫(な)でて 我を除(お)きて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾(あさぶすま) 引き被(かぶ)り 布肩衣(ぬのかたぎぬ) ありのことごと 着襲(きそ)へども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒(こ)ゆらむ 妻子(めこ)どもは 乞(こ)ひて泣くらむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る 天地は 広しといへども 我がためは 狭くやなりぬる 日月(ひつき)は 明(あか)しといへど 我がためは 照りや給はぬ 人皆(ひとみな)か 我のみや然(しか)る わくらばに 人とはあるを 人並に 我もなれるを 綿もなき 布肩衣の 海松(みる)のごと わわけさがれる かかふのみ 肩にうち掛け 伏(ふせいほ)の 曲廬(まげいほ)の内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子(めこ)どもは 足(あと)の方に 囲(かく)み居()て 憂え吟(さまよ)ひ かまどには 火気(ほけ)吹き立てず こしきには くもの巣かきて 飯炊(いひかし)く ことも忘れて ぬえどりの のどよひ居(を)るに いとのきて 短き物を 端(はし)切ると 言へるがごとく しもと取る 里長(さとをさ)が声は 寝屋処(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世間(よのなか)の道

世間を 憂しとやさしと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば

この歌は山上憶良が筑前国の国守(国司の長官(ちくぜんのかみ))になったときその赴任先で作ったものらしい。国守という身分ではあるが、どうしようもない寒い夜、堅塩を酒のさかなにちびりちびりやりながら、なんどもせき込みんでは鼻水をすすり、ろくに生えてもいない髭を掻き撫でて「俺ほどの人物はおるまい」と威張ってみるが、一般庶民はもっとひどい暮らしをしているのだと、その暮らしぶりを想像している。

 地べたに藁を敷き父母、妻子らと身を寄せ合って寒さに耐えている。それが当時の庶民の家の中の様子であったであろう。それから1300年近く経っている現代の人々は、自分たちの遠い祖先の暮らしぶりをどのように想像できるだろうか。今の時代を基準に考えれば、相当悲惨な暮らしぶりであったに違いないが、こういう万葉集などに書かれていることを学ばなければ、それを身近に感じることは出来ないことであろう。