2012年6月10日日曜日


万葉集に学ぶ「世の人の 尊び願ふ 七種の 宝も我は 何せむに」(20120610)
 
山上憶良の詩。
    天平五年六月丙申朔の三日戊戌に作る。
  をのこの名を古日(ふるひ)といふに恋ふる歌三首

九〇四 世の人の 尊(たふと)び願ふ 七草(ななくさ)の 宝も我は 何せむに 我が中の 生まれ出でたる しらたまの 我が子古日は 明星(あけぼし)の 明くる朝(あした)は しきたへの 床の辺(へ)去らず 立てれども 居れども ともに戯れ ゆふづつの 夕(ゆうへ)になれば いざ寝よと 手を携(たづさ)はり 父母も うへはなさがり さきくさの 中にも寝むと 愛(うつく)しく しが語らへば いつしかも 人となり出でて 悪しけくも 良けくも見むと おほぶねの 思ひ頼むに 思はぬに 横しま風の にふふかに 覆(おほ)ひ来れば せむすべの たどきを知らにしろたへの たすきを掛け まそかがみ 手に取り持ちて 天つ神 仰ぎ乞(こ)ひ禱(の)み 国つ神 付してぬかづき かからずも かかりも 神のまにまにと 立ちあがり 我乞ひ禱めど しましくも 良(よ)けくはなしに やくやくに かたちくづほり 朝(あさ)な朝(さ)な 言ふこと止(や)み たまきはる 命耐えぬれ 立ち躍(をど)り 足すり叫び 伏し仰ぎ 胸打ち嘆き 手に持てる 我が子 飛ばしつ 世間(よのなか)の道

        反歌
九〇五 若ければ 道行き知らじ 賂(まひ)はせむ しきたへの使ひ 負ひて通らせ
九〇六 布施(ふせ)置きて 我は乞(こ)ひ禱(の)む あざむかず 直(ただ)に率()行きて 天路(あまぢ)知らしめ

        右の歌一首、作者未だ詳らかならず。ただし裁歌(さいか)の体(すがた)山上(やまのうへ)の操(さま)に似たるを以て、この次に載す。

 山上憶良は古日と名付けた我が子をとても愛しく思っていた。宵の明星がかがやく夕べになると古日は「さあ寝ようよ」と手を引っ張って「お父さんとお母さんの間に寝るの」と言っていたのだ。一家は幸せの絶頂にあった。然るにその子に先立たれてしまった。懸命の看護、神への祈りもむなしく古日は死んでしまった。なんという無常!

 反歌に「若いので冥土への道は知らぬだろう。寝床の使いが背負ってその道に参らせて欲しい」と詠っている。続く一首は作者不詳だが、撰者大伴家持が「この歌は憶良の歌であろう」と添えたものである。