2012年6月26日火曜日


万葉集に学ぶ「ももづたふ 磐余の池に 鳴くかもを 今日のみみてや・・」(20120626)

 伊勢神宮で姉・大伯皇女に会って都に戻った後、国家転覆の罪で処刑された大津皇子もその時代の日本国内の状況に翻弄されたのだと考えられる。大津皇子をそそのかしたのは、金という姓の新羅人の僧・新羅沙門行心であった。万葉集巻第三に大津皇子の辞世が収めらいる。

 大津皇子(おほつみのみこ)、死(し)を被(たまは)りし時に、磐余(いはれ)の池の堤(つつみ)にして涙を流して作らす歌一首
四一六 ももづたふ 磐余の池に 鳴くかもを 今日(けふ)のみみてや 雲隠(くもがく)りなむ

物事は「普遍性」と「特殊性」の二重構造で捉えて考えてみる必要がある。古代の日本は構造的に観ると下図のようにあった。当時の人口推定550万人中、渡来人たちは『日本書紀』記載の人数だけでも何万人という数になる。応神天皇の十四年(283年)から二十年(289)にかけて朝鮮半島から非常に多くの人々が渡来して来た。後漢の滅亡時、後漢の霊帝の子孫も多くの職業部集団を伴って渡来してきた。血統・職能をもって朝廷に仕えた人々も多い。彼らは天皇から忌寸・宿祢・直などの姓を与えられている。

一組の夫婦から二人づつ子供が生まれ、25年で世代交代すると仮定すると、1000年後には1兆人となる。たった一組の夫婦でもその子孫はその人数になる。従って今の日本人の形質の何処かに渡来人たちの遺伝子による部分が混じっている筈である。

現在の日本は下図の特殊性の部分の「渡来人」と「朝廷に帰順していない蝦夷」は無くなり、代わりに、「日本に帰化していない多数の在日永住外国人」と「一時滞在の多数の外国人」が存在している。

特殊性の部分は「天皇・皇統(男系)・皇室・皇族」の存在により、日本国全体としての矛盾を起こさないようなバランスが取れている。「天皇・皇統(男系)・皇室・皇族」の存在は、わが国の現在の状況においても大変重要な要素となっている。これを無くしたら、日本は日本でなくなる。「女性天皇」まして「女系天皇」はとんでもないことである。

岩波文庫『日本書紀』天武天皇六年(677)六月の条に、“是の月に、東漢直等(やまとあやのあたひら)に詔(みことのり)して日(のたま)はく、「汝等(いましら)が党族(やから)、本より七(なな)つの不可(あしきこと)を犯(おか)せり。是(ここ)を以(も)て、小墾田(をはりだ)(推古天皇のこと)の御世(みよ)より、近江(あふみ)の朝(みかど)に至(いた)るまでに、常(つね)に汝等謀(はか)るを以て事(わざ)とす。今(いま)朕(わ)が世(よ)に当(あた)りて、汝等の不可(あ)しき状(かたち)を将責(せ)めて、犯(をかし)の随(まま)に罪(つみ)すべし。然(しか)れども頓(ひたぶる)に漢直(あやのあたひ)の氏(うじ)を絶(たや)さまく欲(ほつ)せず。故(かれ)、大きなる恩(めぐみ)を降(くだ)して原(ゆる)したまふ。今より以降(のち)、若(も)し犯(をか)す者(もの)(あ)らば、必(かなら)ず赦(ゆる)さざる例(かぎり)に入(い)れむ」とのたまふ。”とある。

小墾田の御世とは推古天皇の御世のことである。漢直は朝鮮半島より帰化した後漢の霊帝の子孫と称する人々に与えられた姓で多くの氏に別れている。大友皇子の事件も大津皇子の事件も朝廷の実務官僚として能力を発揮していた漢直姓の人々の影響が全く無かったと言えるだろうか? 3世紀末日本にやってきた朝鮮半島からの渡来人たちは、1700年も経てば皆血が混じり合い皆完全な日本人になっているが、当時は下図の「特殊性」の部分があったと考えられる。そういうグループが自分たちの立場を強めるため皇室を利用しようとしたかもしれない。大友皇子も大津皇子もそういう勢力に利用されたのかもしれない。