2009年8月5日水曜日

横浜港花火大会(20090805)

7月末日、曇り空の昼下がり、横浜みなとみらい象の鼻公園を散歩しているとあちこちにビニールシートを敷いたり粘着テープで一定区画を囲ったりしている。金曜日だというのに大の男が2、3人シートの上に寝そべって会話している。60代後半と思われるカップルが何か持って、背の低い女性の方がせかせか血相を変えて場所探しをしている。その後を背が高く、髪が薄く禿が目立つ男性がのんびりとついて歩いている。女房はそれをみて可笑しがる。「男はお人よしなんだから」と言う。
70代後半ぐらいと思われる小柄な品の良い女性が小さな空きスペースに青いビニールシートを敷いている。女房が「ご苦労さんです。花火はどこで打ち上げるのですか?」と聞く。女性は「あそこですよ」と港の大黒埠頭のあたりを指さす。「花火大会はいつなんですか?」と重ねて聞く。「明日の夜7時からです。私はこの近くに住んでいるのです。」とその女性は答える。男が「毎年来ているのですか?」と問うと、女性は「いえ、初めてなんですよ。今年は孫が来るので見せてやろうと思いましてね。来てみたらもう一面場所取りされていて。みな昨日から場所を取っているみたいです。会社関係の人たちが多いみたいです。」と驚いている。男も女房もそれを聞いて同じように驚いた。明日の花火大会のために昨日から場所取りしているのだ。
女房はこの花火大会を何年か前に見たという。「お父さんとけんかして、一人で横浜に来た時、そごうの上で見たのよ。」と言う。男はそれを聞いて、悪いことをしたな、と思った。けんかの原因は男だけにあるわけではない筈であるが、一点曇りのない純白な心を持っている女房に対しては、男は自らを責めなければならない部分を自覚しているからである。
仏は女房を‘方便’として男を仏に近づけて下さっている。一方、仏は男も‘方便’として女房を仏に近づけている。この世の人間は皆、仏の‘方便’として存在しているのだ。

0 件のコメント: