2009年8月1日土曜日

なかなか大人になれない青年男女が多い(20090801)

私立大学は在籍学生数が減少するとその経営を圧迫する。某私立大学では中途退学者が3割を超える状況であるため、学生を大学に踏み止まらせようといろいろ苦心しているようである。その一つとして大学内に学生が夜遅くまで残っていて仮眠もできる部屋を用意している。学生の居場所を作るというわけである。また、大学の授業の中で3年後、4年後の自分の履歴書を想像して書かせるという。教員が学生に「これを書いてくれるかな?」と頼んでいる。男はそのテレビ報道を見て顔をしかめた。
昔はそんなことはなかったが、もう10年も前ごろから大学の入学式や卒業式に「わが子」の晴れ姿を見て自分もその雰囲気を共有したいと親が参加するようになっている。もう234歳にもなる青年男女の卒業式に親も出席する。もう189歳にもなる青年男女の入学式に親が同伴する。今の時代は子供が245歳になってやっと成人するということか。
高校卒業後すぐ就職したり、専門学校に行って生きる力を身につけたり、自衛隊や警察や消防などに就職したりする青年男女がいる一方で、まだまだ大人になりきれない青年男女がこの日本には沢山いる。特に女性は、もうとっくに結婚して子供を育てているべき年齢に達しても、いつまでもカワイイ女の子でありたがる者が多い。電車の中で人目もはばからず化粧をしている。尤も時々いい年のオバさんが、そのようなことをしている場面をみかけることがあるが・・・。
日本全国の青年男女の中で大人になりきっていない者はどのくらいの割合で存在しているか調査しているのだろうか。多分どこかの調査機関でそのような調査をしていると思うが、男はそのような未熟の青年男女は青年男女全体の数の34割はいるのではないかと思う。来月末衆議員議員の選挙が行われるが、立候補者の中でどのくらいの人が、次代を担う世代に潜在する問題を、問題として認識しているだろうか。
調査機関が発表する統計データを鵜呑みにするのは危険である。街頭を歩きながら、或いはテレビや新聞や雑誌の報道を大雑把に入手しながら、自分自身の感覚で状況を把握し、問題があるかないか判断することが大変重要である。その上で統計データを参照し、自分の判断が正しいかどうか判定すればよい。
男はそのような統計データを見ずに言うのであるが、親の庇護から離れられない大人が多いことは確かであると思う。親と同居していれば衣食住には困らない。親も身近に相談できるわが子が居れば安心である。そのような親子が我が国の全体の親子の56割はいるのではないかと思う。男の近くにもそのような親子がいる。
男が息子たちを育てていたとき、男の子は意志が強くて体が丈夫であれば人生を生き抜いて行くことができる、子供は塾に無理やり行かせる必要はないと考えてそのとおり実行した。男の女房も子供にはいろいろ経験させる、経験がいい勉強になると言ってそのとおり実行した。二人の息子たちには希望通り、高校や大学を休学させて、それぞれ1年間海外での経験をさせた。その間、息子が命を落としたかもしれない危険にも遭ったこともある。二人とも20歳前後のときに家から出て、列車を利用すれば1時間ぐらいで行けるところに住んだ。男と女房は、それぞれ家を出て一人住まいさせるとき、アパートの敷金、権利金、テレビ、冷蔵庫、エアコンなどの初期費用相当分を補助してやった。
上の息子は小学校4年のときからアルバイトをした。勿論親である男の了承なしには新聞店は雇わなかったが本人が希望するのである新聞店に雇ってもらい、数ヶ月間早朝の新聞配りをした。その後冬のまだ朝も明けやらぬうちから豆腐屋で働き、得た給金で男に冬の防寒着を買ってくれたことがある。高校生になって夏の暑い日に鉄工所で板金加工のアルバイトをしたこともある。男の家では子供にそのようなことをさせなくても十分豊かな暮らしが出来ていたが、男と女房は、子供の教育のためそのような経験をさせたのである。息子は高校2年の時カルフォニアの公立高校に留学したが、帰国後教育について書いた論文に「日本の教育は‘教’であり、アメリカの教育は‘育’である」という趣旨のことを論述してあった。男は息子のその論文を読んで非常に感心した。また「アメリカでは息子が18歳になると親父は息子にポイとボストンバッグを与え、この家から出てゆけ、と言う。」と話してくれたことがある。
下の息子は大学4年の時1年間インド、ネパール、パキスタン、中近東諸国、ギリシャ、イタリー、オーストリー、ドイツなどを独り旅して回った。インドでひと月ほど滞在していた。その間香港で知り合った韓国の画家と一緒に11000円前後の経費でインド国内を旅し、水が合わず下痢をし、インド人が進めてくれた治療薬で治ったこともあった。
トルコでドイツの青年と知り合い、その縁でドイツ南部のある町のその青年の家に泊めてもらった。ドイツからオーストリーのウイーンまでヒッチハイクで行き、そこから韓国まで飛び香港で知り合った画家の家に泊って数日間過ごし、ようやく日本に帰国した。その資金の多くは自分でアルバイトをしながら貯めたお金である。息子が旅行中の連絡はアメリカンエキスプレスカードの各国の現地事務所である。そこに手紙やちょっとした品物を送っておけば、事務所を訪れた息子が受け取ることができた。インドでは息子が求めてきたのでせっかく送ってやった味噌などが本人に届かなかったこともあったが・・・。
今二人の息子はそれぞれ267歳で結婚し子供ももち、それぞれ青年時代の経験が役に立って、それぞれ海外にもよく出張する大きな仕事を成し遂げている。特に上の息子はひと月の大半を日本や韓国の取引先の顧客と一緒に海外に出張しているような仕事をしている。男の父親も韓国で教職に就いていた。何か見えざる糸で繋がっているのだろうと思う。
男も女房も親として思い残すことは何もない。息子たちは男が自分の人生で出来なかったことを次々成し遂げている。男も女房もそれぞれ自分たちの人生に十分満足しきっている。一日朝が来て晩になり、また明日の一日を迎える。自然とともに、宇宙の運行とともに、余生を静かに送るだけである。それぞれ生かされ、天命の役割を果たした人生である。
人にはぞれぞれ天に与えられた役割がある。その役割は何か、若いうちに自覚することが重要である。それには人生の先輩からの教え導きが必要である。大河ドラマ『篤姫』の義父・島津斉彬や実父実母が篤姫を教え導いたように・・・。

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