2009年8月16日日曜日

長崎への原爆投下(20090816)

 アメリカ人の6割ぐらいの人たちは、広島と長崎への原爆投下が正しい行為であったと考えているということである。正しいと考える理由は、その行為によって戦争を早く終結させ、戦争による死傷者や破壊をそれ以上拡大させずに済んだからであるというものである。キリスト教徒が多い長崎への原爆投下は、当時の爆撃機搭乗者の証言によれば投下目標は市の中心から3km外した場所だったということであるが、天候不良によりその場所への投下ができず、市の中心部に落としてしまったということである。

 戦後アメリカは原爆投下により2人のキリスト教神父、850人のキリスト教徒を殺し、聖母マリヤ像・天主堂などを破壊してしまったことを悔やみ、長崎から原爆投下の痕跡を消し去ることを欲し、当時の長崎市長らに働き掛けて浦上天主堂や聖母マリヤ像など原爆で破壊された一切の痕跡を消し去ることに成功した。

 当時訪米した長崎市長はアメリカ各地で大歓迎を受け、長崎はアメリカのセントポール市との間で姉妹都市関係を結び、アメリカがキリスト教徒の多い長崎に原爆を投下したという事実は世界中に宣伝されることがなくなった。その一方で広島の名前は世界中の人たちに良く知られている。オバマ大統領の非核化宣言に勇気づけられヒロシマはカザフスタンの核実験被爆者たちと連携し、ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトを発足させた。アメリカ人の識者の中には、ヒロシマはいつまでも原爆の後遺症を引きずっているが長崎はそうでないというようなことを言っている人たちもいる。

 男は戦争は冷酷なものだと思う。広島、長崎への原爆投下は当時の日本国民の心理状況を考えると、終戦を早めることに役立ったかもしれない。当時の日本国民は情報に乏しく、平和を志向する人々の思いは集団心理のもと、それぞれの胸の奥に無理に抑え込んでいた。先般NHKテレビ番組『日本海軍400時間の証言』で、当時の海軍将校たちが‘やましき沈黙’を反省していた。‘やましき沈黙’がなければ戦争は早く終結し、広島、長崎への原爆投下は行われなかったかもしれない。‘やましき沈黙’は戦後65年目になる今の日本人の間にも ‘一種の美徳’のように存在していると思う。

 ‘やましき沈黙’を生じさせる日本人の古来からの深層心理‘セルフ(自分自身)’は、未来にわたり日本人の心から無くなることはないであろう。その‘セルフ’は日本人が神代の時代から培ってきた深層心理であり、日本の文化の根底にあるものだからである。

 それは組織の団結に役立つ一方、組織をその組織の個々の成員の意思とは無関係に誤った方向に向かわせてしまう。男は余り好きな言葉ではないが、‘内部告発’、言葉を変えれば‘密告’の制度と‘密告者’を保護する制度は必要だと思う。その制度が正しく機能しているかを憲法で保護された報道機関が第三者として監視する。そのようなシステムがこの日本には必要ではないかと考えたりする。

 アメリカにはWASPといって白人でアングロサクソンでプロテスタント系の人々のネットワークが存在している。長崎から原爆投下の痕跡を無くそうとしたのは彼らに違いない。