2009年8月17日月曜日

非核三原則(20090817)

15日、NHK番組で<日本のこれから「“核の時代”とどう向き合うか?」>が非常に熱っぽく討論されていた。核の持ち込みや核武装について、核が抑止力になるかならないかの意見が概ね半々に分かれていた。半数いる否定者の中で「核の傘が必要か、必要でないか」という問いに対して「必要である」と考える人が結構多かった。男はそれを見ていて感じたことがある。
一つは、核抑止力を肯定する半数の中に中年以下の世代の多いということに戦後65年目という時代の流れを感じたということである。一昔前であれば、肯定者が半数もいなかったであろう。
二つは、核抑止力否定者でも「身の安全はアメリカの核よって守ってもらいたい」という、核に対する屈折した考え方をする人間が多いということである。
三つは、核が戦争を抑止しているという認識が深まり、核問題に対するアレルギーは解消する方向にあるということである。
四つは、もし日本とアメリカの間の信頼関係が揺らぐようなことがあると、日本は急ピッチで核武装することになるかもしれないということである。
五つは、上の四つに関連するが、日米の信頼関係はお互いに相手を強く必要とする関係であり続ける限り揺らぐことはないということである。そのためにはお互いに相手が求めていることを満たしあうということが重要であるということである。
六つは、将来何かの事情で日米関係が壊れる、あるいは無くなるということがあるかも知れない、ということを常に考えておく必要がある。そのとき日本はどの外国にも頼らず自立してゆける力を身につけておかなければならない、ということである。
七つは、上の六つに関連するが、もし日本がどの国にも頼らず自立してゆくことになった場合、再び「やましき沈黙」(下記)のため過ちを犯すことがないようにしておかなければならないということである。
男は日本海軍反省会で出た「やましき沈黙」の元となる精神構造は、日本が多民族・多様性の国にならない限り変わらないと考えている。それは日本の古来の精神文化に起因するものであると考えている。そのシンボルは神社である。日本は世界に類例のない天皇や神道や神社や神社の鳥居などを持っている。日本人はこれらこれを全く無くすことは絶対できないであろう。それらを無くすということは日本人の自己否定につながり、日本が秩序ある国としての体をなさなくなるということである。
その恐ろしさゆえ、男は日本が「やましき沈黙」のため誤った方向に向うことがないようにする、なにか特別のシステムを構築する必要があると考えている。<日本のこれから「“核の時代”とどう向き合うか?」>という討論会の発言者の中に誰一人として男が懸念しているようなことについて発言がなかったのは、誰も自分自身の深層心理を気づくことが大変難しいからであると思う。男はその切り口から自分の哲学を深めてゆきたいと思う。
男はそう思いながら横浜の自宅で同じ番組を観ていた女房に電話した。実は男はこの番組があることを女房から聞いて知ったのであった。折しもこの田舎の家に男の妹が同窓会で帰って来ていたので話していた電話機を妹に渡し、男はコンピュータに向き合った。

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