2009年8月18日火曜日

年寄りを看るということについて「(20090818)

 男の母(継母)、90歳は5年ほど前がんを患ったがそのがんが消滅し、住み慣れた九州のある田舎町で独り暮らしをしている。ところが今月の8日、男のもとにその町でホームドクターの役割を担っているK病院から緊急連絡が入った。母がヘルペス(帯状疱疹)に罹っているので入院させたと言うのである。男は急きょ田舎の家に帰った。

 このK病院を経営しているK先生は母の健康状態を常続的に把握しておくため、毎月母の血液検査を行ってくれている。K医師は母の血液検査の結果について男に説明してくれた。それによれば、白血球数は2000前後、赤血球は8.5前後であり、葉酸やB12を与えても増えなくなってきて、骨髄の造血機能が低下しているということである。

 母は5年ほど前、十二指腸のあたりに出来ていた悪性リンパ腫を外科手術で取り除いた。K医師の判断により悪性リンパ腫の切除を先行させたのは、6cmほどもあった腫瘍が原因で一本の尿管を圧迫し、腎臓の機能に影響を与えていたからである。母はK医師の判断で、隣接する町にある泌尿器科で尿管にステントを入れ、尿通を一時的に良くする手術を受けていた。腫瘍はK医師が「便通が悪い」という母の訴えを聞いて腹部の超音波検査をして見つけてくれた。K医師によれば、普通腫瘍は便塊と区別しにくいので超音波ではなかなか見つけにくいということであるが、母の場合腫瘍が出来ていた個所が便塊のない場所であったから見つけることが出来たそうである。

 男はK医師に紹介状を書いてもらって、男が住んでいるところからアクセスしやすいK市民病院で母の腫瘍を取り除く外科手術を受けさせることにし、母を横浜の男の家に連れて来た。執刀してくれたI医師は術後化学療法を行うよう勧めてくれたが母がどうしても田舎の住み慣れた家に戻りたがるし、都会では血液内科が少なく高齢者を受け入れてくれる病院が当時は見つけることができなかったので、やむなく母を田舎に連れて帰った。

 悪性リンパ腫に対して本来行うべき化学療法を行っていなかったため、1年後にがんが再発すべくして再発した。そこで今度は母が住む県内のA病院で化学療法を受けた。その時は幸いにして腫瘍が他の臓器に悪影響を与えていなかったため、主治医のM医師により初めから最も適切な化学療法が選択されて施されたお陰でがんは緩解し、現在に至っている。
しかし8月に入って帯状疱疹が発症した。これは今年になって母の造血機能が衰えて来たのが原因であると考えられる。これは血液のがんが再発している状況にあると考えられる。どこかに腫瘍ができているかどうかは分からない。K医師は赤血球が7を切る状態になれば、輸血しか延命の方法はないという。男もそう思う。

 それまで男は母を母の住む町にある特別養護老人ホームに入居してもらおうと、5年前から手続きをしていた。しかし老人ホームでは血液のがんを患っている母を良く看てくれないと思う。男はK医師に「私は今決心した。母を老人ホームに入居させることは適切ではない。母がおむつをあてるようなったり、痴呆になったりするようであれば別であるが・・」と男の判断を伝えた。

 K医師は、輸血には7000人から8000人に一人の割合で移植片対宿主病(いしょくへんたいしゅくしゅびょう、graft versus host disease; GVHD)という問題が起きる可能性があるという。男がインターネットで調べたところによれば、輸血製剤製造過程中にどうしても残ってしまうリンパ球のため、状況によってGVHD起ききてしまうらしい。輸血には状況により発熱・発疹などの副作用も起こり得るらしい。K医師は母に対する輸血が必要になったとき輸血は120日に一回の割合で行うことになるが、そのとき1週間から10日間、家族の者が母の近くにいて欲しいと言う。

 母は一見元気そうである。K医師が言う通り母の状態をみれば母は決して痴呆になることはないし、おむつを当てて暮らすような状況にもならないと思う。しかし男は母の寿命はあと数年であろうと予測する。もし帯状疱疹が再発するようなことがあれば、母の免疫力はかなり低下していることになる。入院するようことがまた起きれば、その時は母は病院で寿命を終えることになるかもしれない。男はK医師からいろいろ話を聞いてそのように状況を判断した。その判断を男の弟妹や母の弟妹に語った。

 男は女房に電話でそのことを話した。数日後男がまた横浜に戻るが、その後は毎朝8時にモーニングコールをして母の状況をチェックし、何かあれば第一優先順位ですぐ母のもとに帰ることにし、そのうち母の赤血球数が8を切るようになり、白血球も1500を切るようになれば、その時には母のそばにいてやり、母がいよいよ寿命を終えるときまで母のそばで母を看て上げようと思う。

 男は今後女房と一緒に頻繁に帰省して母の状況をチェックし、母の血液検査の結果の推移についてK医師に聞こうと考えている。そしてその都度適切に対処する。それが年寄りを良く看ることであると男は考える。

 母は明日(818日)昼食後退院させる。明日、男はホームヘルパーを派遣してくれているK.園と、デイサービスを受けている老健Hに電話を入れ、母が入院前受けていた福祉サービスを再開してもらうようにする。そして数日後10日ぶりに女房がいる横浜に戻ることにする。この10日間、男はブロードバンドのインターネットにアクセスすることができて、この田舎町で割合気楽に、毎日楽しみながら過ごすことが出来たのはとても良かった。