2009年8月9日日曜日


子供の躾(20090809)

これは男の女房の話である。女房が先日ある女子トイレに行った時、そこに4歳ぐらいの女の子がいた。その子は手を洗おうとして洗面台に手を伸ばし水道のコックを触ろうとするが手が届かない。傍らにいた女房を見てこのおばちゃんなら手伝ってくれると思ったのか、女房に訴えかけるような顔をしている。女房がその子を抱えて手を洗わせてやった。その後手を拭くペーパーボックスにも手が届かない。そこでまた女房がその子を抱えてやってその子に自分でペーパーを取らせてやった。
ところが、その子は女房に「ありがとう」の一つも言わずに去って行った。女房が外に出るとその子のおじいちゃんらしい人がベンチに座ってその子に何か話しかけている。そのおじいちゃんは女房を見たが何も言わなかった。
以上のような話を女房は男に話した。男は女房に言った。「その女の子に‘ありがとうは?’と言ってやればよかったのに。俺だったらすぐそう言うね。社会教育だよ。」と。女房は「それはそうだけど、その時唖然としてすぐには言えなかった。」と言う。男は「そのおじいちゃんにも一言言ってやればよかったのだ。‘子供に、ありがとうと言わせるようにして下さい’とね。教えざるの罪というものがあるのだよ。」と言ったが、女房は「私にはそんなことは言えない。何十年も生きてきた人間が今更変わるわけではない。」と言う。
件のおじいちゃんも女の子も言語障害を持っているわけではあるまい。ただ人に頭を下げて「ありがとうございました。」と言う習慣が身についていないだけなのだ。道にぽいと投げ捨てする人間も、行楽地の川に平気でゴミを捨てる若者たちも、皆悪い習慣を身につけているだけだ。つまりよい習慣について小さいときから誰からも教えられていないのだ。氏や生まれが悪いわけではない。生後の教育が悪かったのだ。電車やバスの中で「携帯電話は電源を切るかマナーモードにして周囲のお客様に迷惑にならないようにして下さい。」と繰り返し車内放送されるから、人々はその行為を自制しているのである。もし女性のマナーについて「社内ではお化粧はやめましょう。」と放送されるようになれば、そのような行為はなくなるだろう。
日本では公共の機関が公衆道徳について繰り返し呼びかけても、あまり非難の声は上がらない。わが国は日本国家として精神の背骨をしっかり確立し、日本人が昔から身につけている「他人に後ろ指をさされないようにする。」「名誉を重んじる。」と言うような秩序を大事に考えるべきである。日本人は日本人である。外国の、特にアメリカの悪いところを真似すべきではない。美しい日本、古い文化と伝統のある日本が一番である。
日本人はいくら洋装しようと、また世界の中で生き抜くため白人のような思考様式を身につけようとも、心の中ではちょんまげ姿で、着物を着、袴を穿き、腰に大刀を帯び、悠然と立っている姿のイメージが最も似合うのである。今の時代でも武士道の精神を身につけている日本人を欧米の心ある人たちは尊敬の眼で見るのである。心の中まで白人のように変わる必要はない。若者よ! 幕末から明治の父祖たちのごとく、真の日本人であれ!

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