2009年8月30日日曜日


山上憶良の歌に寄せて(20090830)

 男は女房とともに久しぶり録画してあった『日めくり万葉集』を再生して観た。もう15日分ほどたまっていた。15分であるので全部観るのに1時間半近くかかった。その中でいくつか「そうなんだ」と思うことがあった。「カタクリの花」が出てくる歌は巻194143番の歌一つだけだというし、「虹」が出てくるのは巻143414番の歌一つだけという。

 徳島県の東祖谷というところに庵を構えているアメリカ人のアレックス・カーと言う人は、巻3に出てくる351番の歌「世間(よのなか)を 何に喩えへむ 朝開き(あさびら)き漕ぎ去(い)にし船の 跡なきごとし」という歌に極楽浄土とか天国のようなピュアな世界を感じ取っている。

 同じアメリカ人で、17歳の時来日し、1982年に万葉集を英訳し、日本語で執筆しているリービ英雄という人は、百済渡来人説(663年白村江敗戦時、4歳で日本に渡ってきたとする説)がある山上憶良を自分と重ね合わせて、巻5に出てくる894番の歌「神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理」が訓読されて「神代(かみよ)より言(い)ひ伝(つ)て来(こ)らくそらみつ大和(やまと)の国(くに)は皇神(すめらのかみ)の厳(いつく)しき国言霊(ことたま)の幸(さき)はふ国(くに)と 語(かた)り継(つ)ぎ言(い)ひ継がひけり」となっている歌に、非常に感動している。

 彼は、大和の国・日本が神代の昔から神が威厳をもって守る国、言霊が幸いをもたらす国と語り継がれ、言い継がれてきた、ということに非常に驚き、感動しているのである。男も含め今の日本人は、自分の生まれ育った国に対して彼のような純粋な感動をしていない。しかし、それは戦後の教育のせい、日教組のせいだと男は思う。

 ちなみに山上憶良は660年頃生れ、733年頃没している。702年の第七次遣唐使船に同行して唐で儒教や仏教など最新の学問を研鑽し、帰国後は東宮侍講を経た後、伯耆や筑前の国司の長官(守)を歴任しながら、数多くの歌を詠んでいる。

 西欧人の中には日本人以上に日本人らしい人がいる。男はかつて合気道に親しんでいた頃、合気道の師範として日本人に合気道を教えていた人や尺八の師範として日本人に尺八を教えていた人に会ったことがある。ドナルド・キーンという人は、戦時中、日本の兵士たちが所持していたものの中で『万葉集』単行本が一番多かったことに驚いたという。

 男は今の若い人たちにもっともっと日本のことを学んでほしいと思う。国旗掲揚時や国歌斉唱時に起立を拒否した教師、国歌の伴奏を校長に命じられ、それを拒否した女性音楽教師、そういう教師たちが多い日教組の連中には、もっと虚心坦懐になって自分の父祖の地、自分が生まれ育った地、この日本の良さを学んで欲しいと男は思う。

 国会議員たちも口では国の在り方についていろいろ言うが、皆戦後教育を受けた人たちである。中には神武天皇は後世の造作であるという歴史観をもつ学者にマインドコントロールされている人もいるであろう。山上憶良の歌にあるように日本は「神代の昔から神が威厳をもって守る国」であるのだ。神社は日本文化の象徴である。そもそも神道を宗教扱いにしたのは間違いの根本である。これは男の持論であるが、そうでなくても「靖国神社にはA級戦争犯罪人が祀られている」と公言する自民党国会議員もいる。多分多いであろう。皆、戦後教育に毒された人たちである。

 男は以前ブログに書いた「日めくり万葉集(20090617)」を読み返してみた。