2009年8月13日木曜日

幼児の躾(20090813)

公共の場で2歳くらいの男の子がぎゃんぎゃん泣いてわめいている。その親は黙って取り合わずにいる。幼児がいくら自分の要求を通そうとしても聞き入れない。幼児は執拗にわめき続けている。男の女房がそれを見ていて「頬っぺたの一つでもひっぱたいてやればよいのに」と言う。男もそう思う。
その幼児は日頃家の中でも、自分の要求を通そうとして泣きわめいているに違いない。三つ子の魂は百までと言うが、善いことはよい、悪いことはわるいと善悪のけじめを三つ子の時からしっかりと植えつけておかないと、そのこどもが成長したときに親は苦労することになる。
女房は、「年取ってできた子供は格別可愛いものらしいよ。」という。男も若いころ叔父が50歳ころ出来た子供を可愛がっていたのを知っている。ある日その子供の名前を呼び捨てにして話していたところ、後でその叔父から電話がかかってきて何の電話かなと思っていたら「さっきお前は○○のことを、○○と呼び捨てにしたな。」と怒っている。男は血のつながった甥っ子であるので親愛の情をこめてそう呼び捨てにしていたのであるが、それがいけないというのである。その時女房は、「それはあなたが間違っている。○○君と呼ぶべきよ。」と言った。男もその時それはそうだな、と反省したものである。しかし一般に親が年をとって出来た子供は可愛いものらしい。
男も女房も子供の躾には厳しいところがあった。しかしお陰様で子供は委縮せずに立派に育ってくれた。それは善いことについて男も女房も大変おおらかに認めていたからであると思う。善いことには危険を伴うこともある。男は全く気にしていなかったが女房の方は子供が善い経験をするため万一命を落とすようなことがあったとしても、それは運命だと覚悟を決めているところがあった。先日男は初めて聞いて知ったことであるが、女房は息子たちがそれぞれ留学や遊学で海外に出るとき「これが今生の別れになるかもしれない」、と思って息子たちを見送ったそうである。女房は男が会社の研修でアメリカに行くときも空港でそういう思いをしながら見送ってくれたのであろう。
結局、子供が立派に育つかどうかは、父親よりも母親の影響が極めて大きいと実感する。近年女性が強くなって男性が女性の尻に敷かれている情景をよく見かける。そういう女性たちでも「子供を立派に育て上げ社会に送り出す」という、動物たちが本能的にやっているようなことができる女性であれば、立派な母親になれると思う。一方、父親たちも子供たちを育てるにあたり男は逞しく、女は美しく、という遊牧民的な野性的な理念を持っていれば子供は立派に育つと思う。
男はこの間自分の娘をあたかも自分の親友のようにして道を歩いている母娘連れを見かけたことがあった。「きっとあの母親は淋しいに違いない。」と言ったら、女房は「友達親子が多い。」と言う。近年子育てができない母親が多いようである。政府は育児経験者をボランティアとして募り、子育てアドバイザーにしたら良いのではないかと考える。

0 件のコメント: