2010年1月29日金曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(7)(20100129)

13 屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養していないならば、情欲が心に侵入する。
14 屋根を粗雑に葺いてある家には雨の洩れ入ることがないように、心をよく修養してあるならば、情欲の進入することがない。
15 悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。かれは、自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。
16 善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、二つのところでともに喜ぶ。かれは、自分の行為が浄(きよ)らかなのを見て、喜び、楽しむ。
17 悪いことをなす者は、この世で悔いに悩み、来世でも悔いに悩む。「わたくしは悪いことをしました」といって悔いに悩み、苦難のところ(=地獄など)におもむいて(罪の報いを受けて)さらに悩む。
18 善いことをなす者は、この世で歓喜し、来世でも歓喜し、ふたつのところで共に歓喜する。「わたくしは善いことをしました」といって歓喜し、幸あるところ(=天の世界)におもむいて、さらに喜ぶ。

新聞に悲しい二つの事件の記事が載っていた。一つは初めテレビでニュースを聞いていたため読みたくない記事である。それは小学校1年生の男の子を22歳の実の母親と、31歳の男(母親の結婚相手)が虐待死させた事件である。もう一つは自分が産んだ幼い娘の裸の写真を携帯電話で送信したり、いかがわしい行為をされると知りながら男に引き合わせたりしたとして、大阪、宮城、神奈川など8都府県の母親ら13人が昨年6月以降、相次いで摘発されたという記事である。
自分が産んだ息子が親をかばい「いじめられていない。悪いことをしたら叱られるけど。」と言っていたが、この子が描いた絵には目を吊り上げた親熊とそのそばに目が丸い小熊が描かれていた。この親もその夫も自分が犯した罪で一生苦しむだろう。自分の娘を小遣い稼ぎの道具、しかもいかがわしい情欲の道具に使った母親たちも同じである。
釈尊はここで来世のことを語られている。釈尊ご自身、「前世」が有るか無いかとか「来世」が有るか無いかとか、「我」が有るとか無いとか、形而上学的に存在の有無を論じることを「無記」として禁じられている。しかし男は、「前世」から「今生」へ、「今生」から「来世」へと永遠に続く‘もの’があるということは、それを思惟して確信することができる者にしか理解できないことであると思っている。
前に、ブッダの「化身」についてこのブログに書いたことがあるが、男は上記のような罪を犯した人たちもブッダの「化身」であると理解する。「化身」はブッダが人々に真理を教え、人々を真理の世界に導く「方便」として現れている姿である。(関連記事:「法身・報身・応身または化身(20100116)」)

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