2010年1月27日水曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(5)(20100127)

9 けがれた汚物を除いていないのに、黄褐色の法衣をまとおうと欲する人は、自制がなく真実も無いのであるから、黄褐色の法衣にふさわしくない。

10 けがれた汚物を除いていて、戒律をまもることに専念している人は、自制と真実とをそなえているから、黄褐色の法衣をまとうのにふさわしい。

 この二つのことば(詩)は出家修行者のために説かれたものであるとのことである。汚物とは煩悩のことだそうである。当時の修行者は汚れたボロ切れを集めて綴った衣を着ていたということである。

 男は今のところ出家修行者になる意志はまったくなく、また煩悩を抑えきれる自信は全くない。西行のように‘在家(ざいか)’と言えば恰好が良いが、そのような意味での‘在家’修行者になることはおこがましい。男は親鸞の教えについてまだ勉強していないが、親鸞は男のような煩悩のかたまりの人間でも‘あの世’と‘この世’の境目がなくなるほどの心境に達することができると教えているのだろうか、勉強してみたいと思う。

 平安時代に栄華を極めた道長は糖尿病で死んだということであるが、生前阿弥陀如来を崇めるお寺を建て、黄金に輝く仏像群をお寺の堂内に飾って阿弥陀如来に帰依したという。いよいよ死の床についたとき、僧侶に阿弥陀経を唱えさせ、自らは阿弥陀如来像につないだ紐を手に持ち、阿弥陀如来に迎えられる空想をしながら没したという。(『栄華物語』)

 男は、道長のようにいろいろ造作をしてまで心の安寧を得たいとは全く望まないし、そうしなくても、今の煩悩の状態のまま、意識のうえでは‘あの世’と‘この世’の境目がないような状態で‘あの世’に逝けると思っている。

 昨日書いたように、武蔵は仏教に帰依していたかどうかは別として、『五輪書』を書き終わって、それを書いた洞窟のなかでそのまま死のうと思っていたらしい。武蔵を客分扱いでもてなしていた細川家が無理やり武蔵を洞窟から連れ帰ったからそれがかなわなかったのだ。男は武蔵のような気持ちにはなれると思う。

 その気持ちになれるのは、男の生母が33歳で没するときのことが男の心に強く刻まれているからである。男の母親の胸には朝鮮から引き揚げた20年夏、既にがんのしこりができていた。病院でがんに侵された左右両方の乳房を間をおいて順番に切除する手術を受けたが既に手遅れであった。死の床に臥していた母親の背中にはがんが転移し沢山の小さながんのこぶができていた。「起こして、また背中をさすっておくれ」と言うたびに当時10歳の男は母親を寝床から起こして上げ、背中をさすってやっていた。母親は苦痛の顔を少しも見せることはなかった。いよいよ死期を知ったと母親「起こしておくれ」と言ったが「背中をさすっておくれ」とは言わず「東を向けておくれ。お仏壇からお線香を持ってきておくれ。お父さんを呼んできておくれ」と言って東に向いて両手を合わせていた。男の母親は‘在家’にして、その精神は上の10番目のことばのようであったのだ。