2010年1月7日木曜日

小説『18のときの恋』(20100107)

 
  昭和2112月の暮れ、いよいよ死期を知ったともゑは信夫にいつものように「起こしておくれ。」と言った。その時は「背中をさすっておくれ。」とは言わず今度は「東を向けておくれ。」と言った。信夫はやせ細ったともゑが何故そう言ったのか理解できぬままともゑの言うとおりにしてやった。すると「お仏壇からお線香を持ってきておくれ。」という。ともゑの言うとおりにしてやるとともゑは「お父さんを呼んできておくれ。」と言って東に向いて両手を合わせた。

  信夫の父親は家の裏の山に、当時おくどや風呂の焚きつけ時の燃料にするための落ち松葉を掻き集めるため行っていた。信夫が父親を探して戻ってきたとき既にともゑはこと切れていた。死床の周りに祖父母や近所の人たちが集まっていた。父親は自分が無力で苦しむ妻に何もしてやれなかった悔しさに耐えかねて、ともゑの傍であたりかまわず号泣した。人生には自分の能力と努力でなんとかできることと、それだけではどうにもならないこととがある。天命に従い、事にあたり己の最善を尽くし、わが事において後悔しない精神を常に持ち続けることが人のあるべき生き方であり、死に方である。

  そのような精神を身につけている千代のお陰で信夫は念願の東京建築大学に入学することができた。同級生たちは皆年下であったが信夫は一心に勉学に励みその大学を首席で卒業し、1級建築士の国家資格も取得することができた。その努力が実を結び信夫は都内にある世界的に有名な飛鳥建築設計事務所に就職することができた。

  信夫はその会社で良い上司に恵まれた。信夫の上司は信夫より年下であったが以前から信夫のことをよく知っているかのようであった。否、その上司ばかりではなく社長以下全員が信夫の家族のようであった。信夫はその会社で15年間修業を積み、その会社の関連会社として新しい会社を興し、グループ企業の一翼を担うようになった。

  チームワークという言葉がある。真のチームワークは個々のチームメンバーがそれぞれの役割を果たすネットワークである。社長もチームのメンバーの一人であり、社長という役割を担っているにすぎない。社長が社員よりエライわけではない。チームワークはタテの関係のワークではなく、ヨコの関係のワークでもなく、ネットワークである。その要要にリーダー、サブリーダーなどの役割を担うメンバーがいるワークである。そのようにして全体の和が重んぜられるワークである。そのワークは古来日本人が自然に身につけて来たワークである。例えば人々が飢饉で苦しんでいる時、領主も共に苦しみ、困難を乗り切るため領主も領民も一丸となって頑張る。そのような文化を古来から日本人は大切にしてきたのである。その根底には‘お陰さま’がある。近年その日本でそのような文化が廃れてきた感がある。

  信夫の今の幸せは一重に千代のお陰で得られているものであると信夫は思っている。信夫と千代の三人の子供たちもそれぞれ幸せなよい人生を送っている。すべて‘お陰さま’のお陰である。信夫がもし千賀子と結婚していたと仮定した場合、今の幸せが得られたかどうかは判らない。しかし信夫が18の時の千賀子との間も友達以上恋人以下の関係も‘お陰さま’のお陰である。仏さまの方便である。千賀子も信夫から忘れられたというショックを乗り越えて幸せな結婚をし、よい家庭を築いた。人生で起きるすべての物事には、仏様から見れば意味のないことは何一つないのである。(終)

(関連記事:「お陰さまで(20091227)」、「現在、過去、未来の三世の因縁(20090720)」)

0 件のコメント: