2010年1月23日土曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(1)(20100123)

 今日の国会討論で自民党小池議員とみんなの党渡辺議員はそれぞれよく勉強し、男が言ってもらいたいと思っていたことを言ってくれた。テレビで論戦を見ていた人たちも二人の発言に拍手を送っていたことだろうと思う。

 お天気が良いので男は独りで街中を5000歩ほど歩いてみた。街中を歩いているといろいろなことが見えてくる。丘の上の墓地で墓地造りか何かの工事をしている人たちが見える。前を一人の若い母親が自転車の前に小さい子供を乗せてゆっくり漕ぎ、その隣をその母親の友達らしい若い女性が車いすにのって手で車輪を回しながら行き語り合っている。人々の営みは1000年前も今も本質的には変わらない。今を生き、時を過ごし、老いて行く。

 釈尊は誰にも頼ることなく自分自身を頼りに生き、生きながら心の安寧が得られるようにいつも修行に励むようにと教えられた。2500年前実在した釈尊の教えを学びながら、自らの精神を高めるように修養することが幸せな人生を送る要諦であると男は確信している。

 そこで、これからは先ず釈尊の言葉を集めた本を読みながら、いろいろ考えてゆきたいと思う。その本は岩波文庫の『真理のことば感興のことば』で、中村元というお方がパーリ語で書かれた仏典を翻訳されたものである。男は放送大学の講座で中村元の講義を聞いたことがある。この本を買ったのもその講座で中村元というお方を知ったからである。

 男は若い頃『法句経』という単行本を持っていた。その本はあまり良く読んでいなかった。法句経は「真理のことば」の漢訳である。中村先生はわが国で初めてパーリ語の原典から直接翻訳されたという。このブログでできるだけ毎日、「真理のことば」を取り上げて行こうと思う。今を生きる我々はそのような先生方の努力の賜物の恩恵を受けている。

 千数百年前大変苦労しながら遣唐使船で中国に渡り、沢山の仏典を持ち帰り、学生たちに教えた空海や最澄らの時代のことを想うと、今を生きる我々はなんと幸せなことだろうか。キリスト教の教えにあるように「門をたたけ、さらば与えられん。」である。こちらから進んで仏教の門をたたかなければ、何も与えられないのだ。仏教の門をたたかない現代人は何と不幸なことか!

1 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話合ったり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。
2 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。影がそのからだから離れないように。

男が作る陶芸作品でも、このブログでも、確かに男の心にもとづき、男の心を主とし、男の心によって創りだされている。何度創っても真に満足できるものは一つも出来ないが・・。