2010年1月15日金曜日

竹馬の友とその友人ご夫妻に会う(20100115)

 一昨日のブログにちょっと書いたが、今日、男は小中学校時代以来の親友Sとその親友が連れて来るその親友の友人ご夫妻に会った。Nさんの奥様がよく知っている横浜の中華街のある店で美味しい料理と口当たりのよいまろやかな味の紹興酒で話がはずみ、相当長い時間その店で過ごした。男は時間制限がなく、料理も酒も美味く、リラックスできるその店を気に入り、その店の名刺とリーフレットを持ち帰った。

 Nさんは男に35年前会っていると言う。それはSが東京近郊に住む郷里大分の中学時代の級友たちを集めた席にNさんを呼んで一緒に会食した時のことであるという。その頃男は埼玉の狭山に住んでいた。思い出せばそのようなことがあったなと男は思う。Nさんはそのとき集まった級友たちの中で男が皆と違った雰囲気を持っていたので記憶していたのだと言う。確かに男はこの齢でもこのようなブログを書いて公開しているぐらいだから、皆とはちょっと変わったところがその当時からあったのであろう。男は35年後にこのような再会をSの呼びかけでできたことを「縁」として嬉しく思い、この「縁」を大事にしたいと思っている。NさんはSのこのようなある意味では押しつけがましいほどの世話焼きを非常によいことだと言う。男もそう思う。

 今日は気温が低く、4時間以上もかけた食事のあと港のエリアを散策することはしなかったが、その代わりNさんの奥さまの計らいでわざわざ千葉の市川からやってきたSに横浜の夜景を見せるため横浜駅までタクシーを利用し、途中大桟橋でみなとみらいの夜景を見、男が持っていた旧式のデジカメで写真を何枚か撮った。

 Sは高校を出て都内のある有名大学に進学した。1年生のとき大学も専攻も出身地も違うNさんという人と一緒に、どういうきっかけか男はまだ聞いていないが知り合って、都内のある下宿屋の八畳間で共同生活を始めたという。Nさんは北海道のご出身、専攻は別の有名大学の法学部であったという。Sの方は商学部であった。戦後10年過ぎた時代であったが郷里も年齢も違う見ず知らずであった人と、何かで意気投合したにせよ八畳一間で共同生活を始めるということは、今の若い人たちには考えられないことであろう。当時はそういうことはなんでもないことであったのだ。そこに人との出会いとその後の人生を豊かにするきっかけがあった。それは「縁」である。NさんもSもその縁によりそれぞれその後の人生が大きく展開し、今日に至っている。

 Nさんは神か仏か、何か人智を超えた存在によりぐっと押されて大きな仕事を達成することがある。その存在を意識しない者には成功はないとご自分の体験からそう話してくれた。男は仏教用語である「縁」や「方便」に深い関心があり、このブログで何度か取り上げている。(関連記事:「お陰さまで(20091227)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2009/12/20091227-2500-20090720-20090723.html
 」、
「現在、過去、未来の三世の因縁(20090720)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2009/07/20090720-2500-2000.html 」)

 Nさんの奥様から男がこのブログを書く理由やコメントが来ないことについて問われた。男は「このブログを読んでくれている人は家族とか一部の友人たちなどに限られている。これはある意味で遺伝子のようなもので、後の世に私の子や孫たちが私が書き遺したものから何かを感じ取ってくれることを期待している。このブログの目的は限定している。ブログの投稿に対するコメントは受け付けないように設定しているのでコメントは来ない」と答えた。このブログに対するアクセスの数は把握できないが、このブログにリンクしている男の「吟詠」ブログではアクセス数の把握ができる。そこではアクセスが結構多い。