2010年1月17日日曜日

心遣い・気働き(20100117)

 男は田園都市線三軒茶屋駅ホームで女房に「今、三軒茶屋だ。」と電話した。女房は「そう、1時間半ぐらいかかるわね」と言う。男は「そうだね」と答えた。まもなく電車が来た。今日も気温が低い。といっても10℃近くはある。男がお正月に九州の中央の山間部にある田舎に帰っていたとき、元日外は雪で気温は零下6℃だった。さすがにその時は寒く感じた。そのとき男はかつて青森に転勤して行ったとき、冬の間味わった寒さを思い出していた。それに比べれば零下6℃など大したことはない。まして10℃近くもあれば暖かいものだ。

 今夜、男は昔の仲間が集まるある会食に参加した。三軒茶屋の銀座アスターがその会合の場所であった。この店はさすがに雰囲気は良い。鎌倉にも駅近くに銀座アスターがあり、男はそこで行われた詩吟の会のパーティに参加したことがあったが、そこも雰囲気は良かった。が三軒茶屋の銀座アスターはさらにグレードが高いと感じた。

 男は久しぶり昔の仲間に会って楽しいひとときを過ごした。集まったのは20人ほどである。個室であるので乞われるままに赤ぺらで西行の『至善』を詩文の解説を加えた上で吟じた。伴奏の楽器もなく美味しいものを十分食べお酒も回っているので思うように詠えなかったが、何とか詠えて拍手を貰った。こういう会合に誘われると男は浮き浮きした気分で参加する。女房は男が着て行く服やシャツやコートのことなどあれこれアドバイスしてくれて、アイロンがけなどいろいろ準備してくれた。

 会合が終わり女房に携帯電話で連絡し、夜の11時前に家に帰り着いた。女房は「お父さんがちょうど帰ってきたときすぐ入れるように風呂を沸かしておきましたよ」と言う。男の部屋に入るとオイルヒーターの暖房をつけてくれてあり部屋を暖めてくれている。男は風呂に入って疲れをいやし、風呂から出て女房に「ありがとうね」と感謝の気持ちを伝えた。男は「わが女房は世界一の女房である」といつも思う。

 心遣い・気働きの精神は、その人が生まれつき持っていた素質の上に、幼少のころからずっと育ってきた家庭環境により自然に身につき、他者との関わりの中で磨かれるものである。幼少のころからの習慣が無意識の形で現れるものである。一朝一夕で身につくものではない。女房は厳しい先生に師事してお茶も習ったが、その経験も心遣い・気働きの精神を一層高める。昔の良い家庭では子女にそのような精神を植え付けるため親はいろいろ習い事、稽古事をさせた。そのようにしてその子女が成人し、子供を産み、母親となれば、その子供に良しつけをするようになる。そのような伝統がどこかで崩れてしまうと後が続かない。よい家庭では代々そのような伝統が受け継がれてゆく。

 男は誰にも負けない心遣い・気働きができる女房と一緒になり、これまで幸せな人生を歩んでくることができて世界一の果報者である。こんな素晴らしいことは二度とないだろう。来世において今生と同じようにあるためには、日々の心がけ・修業を怠ってはならない。男の友人の中には日々淋しくてたまらないという人もいる。男はその友人に何もしてやることはできない。せいぜいその友人が仏教の勉強をするように、それとなく刺激することぐらいしかできない。釈尊は「自らを洲とし、他を洲とするな。自らを拠り所とし他を拠り所とするな」と教えておられる。自分の心の問題は、自分自身で解決するしかないのだ。誰もそれを解決してやることはできないのだ。そう達観して、男は自ら進んで煩わしいこことに関わるようなことはしないつもりである。