2010年1月6日水曜日

小説『18のときの恋』(20100106)

 
  ある日千代は「信夫さん、貴方がいつも言っているように人生は投資だと思います。貴方にはこれまで内緒にしてきましたが、私は貴方が貴方の人生に投資するためのお金を十分準備できています。一緒に上京して大学に通いませんか?」と突然言った。信夫はその時信夫が10歳のとき33歳で死んだ母親・ともゑのことについて、当時40前であった父親が信夫に語った言葉を思い出した。

  その頃信夫の父親は自分の甲斐性なさのため、苦労を共にしてきた妻をむざむざ死に追いやってしまったと悔いていた。信夫に「死のうと思ったがお前たちのことが可哀そうで死ねなかった。」と話したことがあった。そのとき「お前たちのお母さんはとてもしっかりしていたぞ。お母さんは先の先のことまでよく考えていた。お母さんは何をするにも順番を良く考えて行っていた。決して無駄が無かった。」というようなことを信夫に話していた。

  千代はとてもしっかりしている女性である。人の性格は子供の時に既に形成されている。千代が小学校5年のときに学級の生徒全員が写っている写真がある。千代は前列の中央にいる。信夫はパソコンでその全体写真の中から千代だけを切り取って拡大し印刷したものを作ってみた。11歳のときの千代の顔つきにはすでに何かの覚悟ができているようである。信夫はその写真を見て、千代は信夫に尽くすためこの世に送り込まれたのだと思った。

  千代は信夫に尽くすという役割を自覚しているわけではないが、結果的にそのような形になっている。千代は信夫のキャリアアップのため必要な資金を信夫には気付かれないようにして計画的に準備してきたのである。信夫は母親がもし生きていたら同じようなことをしたであろうとふと思った。

  信夫の母親・ともゑの胸には朝鮮から引き揚げた20年夏、既にがんのしこりができていた。その年の10月父親が引き揚げてきたが、何も彼も失って引き揚げてきた父親には直ぐには為す術もなかった。いろいろ金の工面をし、つてを頼って翌年早々ともゑを別府の病院に入院させた。ともゑはその病院でがんに侵された左右両方の乳房を間をおいて順番に切除する手術を受けたが既に手遅れであった。

  信夫は別府のその病院で母親のがんの塊を見たことがある。その頃の病院は荒っぽかったのかもしれないが、病院の中庭の池に飼われていた亀にそのがんの白い塊を餌として与えていたのを見た。信夫は父親に連れられて病院長の家に行く途中の廊下の窓からその塊を見た。病院長の家には祖母からことづけけられた大根やカボチャなどを入院代替わりに贈るため行ったのであった。

  今のように抗がん剤が揃っているわけでもなく、乳がんの治療法は限られたものであった。ともゑは結局それ以上の手の打ちようもなく病院から見放された。そして信夫の父親の家に身を寄せ死の床に臥していた。母親の背中にはがんが転移し沢山の小さながんのこぶができていた。「信夫、起こして、また背中をさすっておくれ。」と言うたびに10歳の信夫は母親を寝床から起こして上げ、背中をさすってやっていた。今思えば全身に転移したがんはともゑに相当な苦痛を与えていた筈である。しかしともゑは信夫にその苦痛の顔を少しも見せることはなかった。誇り高い士族の孫娘として息子に身をもって生き方と死に方を教えようとしたのであった。しかしその時の信夫は自分の母親が既に死の床にあることを知らなかったし、母親の信夫に対する思いも理解していなかった。(続く)

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