2010年1月2日土曜日

小説『18のときの恋』(20100102)


  一方芳郎は父親から相続した家と広い屋敷の管理で忙しい日々を送っている。寛政年間に建てられたと伝わる重厚な建物は管理が行き届いていないので傷みが激しい。雨漏りもしている。2階の天井裏には錆びついた刀や槍などの武具があり、そのまま放置しておくのは勿体ないと考えなんとか建物とともに文化財として後世に遺すことができないかと奔走している。その一方で自分の祖先のことを詳しく知りたくて、郷土歴史研究会というサークルで活動している。信夫はその研究会の研究成果をまとめた資料を芳郎から貰っている。

  信夫や坂田が帰郷する時、二人は必ず辰ちゃんと芳郎君に連絡している。今年の盆休みのとき信夫は2年ぶりに帰郷をした。帰郷前辰ちゃんに帰る日を伝えたら辰ちゃんは「おい藤君、今度の盆休みに江藤千賀子を呼んで一緒に食事しようと思うんだがどうだろうか」と突然言う。江藤千賀子の名字である江藤は旧姓で、今の名前は緒方千賀子である。
千賀子は結婚して福岡に住んでいる。福岡と言っても久大線沿線の浮羽町で信夫の郷里の日田に近い。級友たちが集まる場所として日田は好都合である。

  辰ちゃんがなぜ千賀子のことを持ち出すかと言うと信夫と千賀子の間に恋物語があったのを彼らが知っているからである。そのことは皆が50になったとき学級担任の阿部先生などを呼んで集まった同級会で千賀子が信夫に話していたことを聞いているからである。

  信夫はあのとき千賀子から初めて聞いたのであるが、千賀子は「結婚しよう」とまで言った信夫のことが忘れられず245歳にもなって風の便りに信夫には既に婚約者がいることを知り、悔しくてその女性がどんな人であるかということを知りたくて市役所に行き、いろいろ調べたというのである。千賀子はそのことを同級生の皆の前で暴露したのである。その時はお互いそれぞれ結婚生活も長く、千賀子には東京でスタイリストをしている娘さんもおり幸せな暮らしをしていたので、深刻な状況にならずに済んだのであった。しかし辰ちゃんたちはそのことが信夫をからかう格好の材料にしているのである。

  辰ちゃんが信夫が帰郷するたびに「江藤千賀子を呼ぼうか」と言う。信夫は「いやいやそれはいいよ。彼女も迷惑だよ。」と言うと、「いや、そうでもなさそうだよ。この間同級生名簿を作るため彼女に電話し、今度の盆に‘藤倉君が帰ってくるのだが出て来ない?’と言ったら、‘都合がつけば行くわ、日が決まったら知らせて’と言っていたよ。」と言う。

  信夫は高校時代千賀子と交際していた。当時高校生の分際でアベックでいることが人の目にとまればたちまち大きな噂になった。信夫と千賀子はそんなことを気にせず日田の日隈川や亀山公園などでデートを重ねていた。しかし信夫は千賀子の手さえ握ることもなかった。

  信夫は古本屋に売ってしまい今は手元にないが、千賀子から『千夜一夜物語』をプレゼントされたことがあった。千賀子は女であるから思春期は男よりませている。信夫があれほど千賀子とデートを重ねながら‘その気’が全く感じられないことに千賀子は多少苛立っていたのかもしれない。信夫は千賀子に何もプレゼントしたことがなかった。

  ある日千賀子は信夫の将来を占って信夫に「藤倉さんは将来評論家か技術者が向いている」と言ったことがある。その占いは当たっている。信夫は1級建築士として評判もよく、確かに千賀子の言った通り建築設計技術者である。もう一つ評論家についても当たらずとも遠からずと言ったところである。(続く)

0 件のコメント: