2010年1月21日木曜日

結果はどうであれ信じている間は幸せ(20100121)

民主党の国会議員たちは小沢氏の潔白を信じながら東京地検特捜部による捜査の行く末を見守るしかない。しかし信じている間は幸せである。恋人同士でも夫婦の間でも相手を信じている間は幸せである。宗教も神や仏を信じている間は幸せである。その信頼がくずれたとき、人は一挙にそれまでの幸せな気分から落とされ、幸せ感を失ってしまう。それが怖いから、このままだと幸せが崩れそうな状況になったとき人は必死で現状を守ろうとする。今の民主党の状況はそのように見える。さすがに鳩山首相は捜査に対抗するチームの結成の動きなどを牽制する発言をした。一部の民主党員が実際にどういう動きをするかということは別にして・・・。
仏教の教えに従えば、民主党が一枚岩のように結束しようとし、一時的に結束したとしても所詮‘無常’なのだ。それよりは個々の議員が誰か有力者を頼るのではなく、自分自身の政治家としての信念を拠り所として、また一切の私利私欲から離れ、今の今を天地神明に誓って真に正しいと信じている道を歩むようにすべきである。それこそが彼らに一票を投じた国民の負託に応えることである。小沢チルドレンと呼ばれる女性議員たちの中には黄色い声を張り上げ、感情に走っているかのように見える人たちがいる。折角2大政党時代に入ったばかりなので、彼女らには慎重に行動してもらいたいと思う。興石氏が民主党内の結束を強めようと「民主党を励ますメールが増えた」などと言って民主党議員たちを激励しているが、彼は民主党のため沈黙していた方が良いと男は思う。
男は、日本人は個々の人が突出するよりも全体の中で調和することを志向する気質があると思う。民主党の議員たちは、今は一致団結して「難局を乗り切らねばならぬ」と敢えて口を閉ざしている人たちが多いのであろうが、前原氏などは言うべきことをきちんと言っている。それは彼がスマートに職務をこなす能力があるから言うべきことも言えるのだと男は思う。宮本武蔵のように「我が事において後悔せず」と言うほどの力がない者は、とかく「長いものに巻かれろ」と横睨みしながら行動しようとする。その行動は外部からの何んらかの刺激で突然変わることがある。「無常」である。
日本人の集団の場合、その中心で指導する人またはチームが徳の高い人またはチームでなければ集団として誤った方向に暴走しかねない。旧帝国海軍や陸軍のエリートたちは「やましき沈黙」をしたが故に、太平洋戦争の負け戦を突っ走って何百万という軍人・軍属を死に追いやってしまった。しかも彼らの多くはのうのうと生きながらえた。自らは一般庶民よりは程度が高いと自負している国会議員であるならば、日本人のそうした特質や「自らを洲とし、法を洲とし、自らを拠り所とし、他を拠り所としない。」という釈尊の教えぐらいは知っていて、敢然と信念を貫き通してもらわねば困る。
男は今日岩波文庫『ブッダ最後の旅』と『ブッダの真理のことば感興のことば』(何れも中村元訳)を粗方読んだ。また仏は、仏を信じる人を決して裏切らない。釈尊は人に過去世が有るとか無いとか、来世が有るとか無いとか、過去世や来世の存在について論ずることは禁じておられるが、生死を超えた涅槃静寂の境地に立つ修業を勧めておられる。釈尊ご自身は遠い過去世から遠い未来世まで見透しておられる。上述「ブッダの真理のことば」は、漢訳で『法句経』というものであるが、その中に「160 自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか?(後略)」という句がある。

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