2010年1月8日金曜日

良い日和(20100108)

 今日、平成22年(西暦2010年)木曜日はお天気がよく温暖な日和である。昨年暮れ29日から昨日まで男はこのブログで二つの小説(まがいのもの)を発表した。何れも中身の8割以上がフィクションである。フィクションであっても男の家族とか友人達とか、男を知る者たちには、登場人物の誰某が誰某であると大方想像はつく。タイトルに‘恋’の文字があるので男は初め女房には中身をよく話していなかったが、ある友人から「奥さんに話したか?」と詰問されたこともあり、その二つの小説(まがいのもの)をプリントアウトしたものを見せた。女房の感想はまだ聞いていない。

 テレビ番組で「Cool Japan」というものがある。在日外国人が「夫婦」という題で街ゆく老若二人づれにインタヴューしていた。「来世にまた一緒になりたいか?」という質問にある男性は「50%以下」その連れ合いは「30%」と答えていた。男はどうかというと、100%また今の女房と一緒になりたい、と答えるだろう。

 しかし男は女房に対しても罪があり、一方女房の方は男に対して全く罪がない。男は小さい時から動物に対しても幾つかの罪があるが女房には全くない。男には大きなやさしさはあるかもしれないが、女房のようにやさしくなく、こまやかな気働きも心遣いもできない。花が大好きだということもない。女房があの世に行くときにはそれこそピンク色や白や黄色の美しい花々と金色の光と妙なる音楽に導かれ、あの世では至福の暮らしをするであろうが、男は多分今よりは少し増しなだけの人間界に生まれる程度である。男が幾らあの世でまた今の女房と一緒になりたいと願っていても、そのようにはならないだろうと思う。

 今年男は年賀状を出す相手先を絞り込んだ。毎年沢山年賀状を出していて、沢山年賀状を貰っていたが、今年は100枚以下に絞った。男から年賀状が来なかった人たちは「なにかあったかな」と思うかもしれない。そこで男は寒中見舞いで「古の頃は時間がゆっくり流れていた。現代では時の経つのが早い。関わる事も繁多でその分自らを省みる時間も少なくなっている。そういう日々を送りながら年末近くともなれば毎年そのお方のお顔を思い浮かべつつ年賀状を書き、年が改まれば年賀状を下さった方のことを思い浮かべつつ年賀状を読む。それは楽しいことである。

 しかし今後は在家のまま仏の教えを学ぶ時間をより多く確保したいと思う。そこで今年から年賀状を頂くことを嬉しく思う気持ちは変わらずとも、甚だ身勝手ながら自分からは年賀状を出すことは失礼させて頂こうと思う。此の事をお赦し頂きたい。下記URLのとおり随筆、吟詠、詩吟、陶芸のブログが可能な限り続ける所存。」という趣旨のことを書いて送ろうと思う。

 男がもしこの年で社会的諸関係が非常に深かければ、そんな勝手なことはできない。社会的諸関係の深い人たちは‘私’よりも‘公’の部分が多い。誰にも同じ24時間でも、その人たちは‘公’のためその24時間の多くを割かなければならない。そのような人たちは‘公’のため貢献した度合によって、国家から顕彰されなければならない。

 男は今生の名誉や地位や金に無縁でありたいと思う。吾只足るを知る生き方をしたい、煩悩から解き放たれたいと思う。その思いは女房との幸せな日々のお陰でかなえられている。もし、男にそのような幸せが無ければ、遁世を好む気持ちには到底なれないだろう。さもなくば、必死の思いで仏の慈悲にすがろうとするだろう。上記のことは甚だ贅沢な願いである。しかしそれが出来る幸せがある。仏縁に感謝しなければならぬ。