2010年1月26日火曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(4)(20100126)

 年暮れには胃カメラと大腸カメラの検査をし、ポリープも切除した。血液検査と尿検査で殆どの検査項目は網羅するので人間ドックに入る必要は無い。

 このような検査は、電子通信機器などの定期的検査のようなものである。電子通信機器のメンテナンスでは、スケジュールに従って予め定められる検査項目の検査を行う。このとき、たまに問題が起きることがある。人間の検査でもなにか間違いが起きないとは限らない。そのことを予め念頭において検査を受ける姿勢が重要である。



 今日は男は女房と一緒に定期健康診断を受けた。二人とも特定検診も兼ねてそれぞれ気になるところの検査も受けた。男はずっと前から肝臓にのう胞があってこれが大きくならない限り問題ないのであるが、毎年超音波検査を受けている。そのほか今回は胸部レントゲン検査も受けた。

 さて、昨日の「真理のことば」の5番目に「怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。」という言葉がある。この言葉で男はふと旧約聖書の『ヨブ記』のことを思い出した。

苦しみに遭ったとき、ヨブの妻が「あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神をのろって死になさい」と言ったら、ヨブは「あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸いをうけるのだから、災いをも、うけるべきではないか」と言った。5番目のことばの精神は、表面的にはヨブの精神と同じようなものである。しかし、ヨブが崇めるものは全知全能の神である。一方、ブッダの教えは「(誰にも頼らず、)自分自身を洲にし、自分自身をよりどころにせよ」というものである。そこには一個の人間としての生き方についての深い教えがある。

ブッダ「真理のことば」;
7 この世のものを浄らかだと思いなして暮らし、(目などの)感官を抑制せず、食事の節度を知らず、怠けて勤めない者は悪魔にうちひしがれる。弱い樹木が風に倒されるように。
8 この世のものを不浄であると思いなして暮らし、(目などの)感官をよく抑制し、食事の節度を知り、信念あり、勤めはげむ者は、悪魔にうちひしがれない。岩山が風にゆるがないように。

男は新免(公家につながる父方の姓)宮本(母方の姓)武蔵の生涯の閉じ方は、正にこの6番目の言葉のとおりであったと思う。武蔵は終生孤高の精神を保ち、熊本の金剛山の中腹にある霊巌洞という洞窟で、寛永20年(1643年)から正保2年(1645年)にかけて『五輪書』を書いた。宮本武蔵は熊本の細川藩に客分として招かれていたとき藩主・細川忠利から居宅を与えられていたが、藩主の命を受けてそれを書くときその洞窟に籠って書いたという。そして「『五輪書』を正保2年の春に書き終わって、その年の5月に没したという。
武蔵はその洞窟内で死を待とうとしたが、細川家では武蔵を無理やり居宅に引き戻し十分な看護をしたが、ほどなく僅かな弟子たちに看とられて波乱の生涯を閉じたのである。