2010年1月5日火曜日

小説『18のときの恋』(20100105)


  しかし当の信夫の方は千賀子がそれほどまで信夫のことを想っていたとは知らずじまいであった。50歳のときの同級会で千賀子は「あなたがどんな女性と結婚したのか知りたくて、市役所に行き貴方と奥さんのことを調べたのよ。」と淡々として話した。級友たちは千賀子の話を黙って聞いていた。信夫は千賀子に悪いことをしてしまったな、と自分の無知を悔やんだ。しかし千賀子が信夫を別に怨んでいる様子も見せなかったし、東京でスタイリストをしている娘の写真も皆に見せながら長い齢月の間にいろいろあったことなどを語ってくれたので、信夫は救われた気持ちになることができた。

  信夫に結婚話が持ち上がったのは、信夫が下士官になって艦隊勤務から離れ江田島にある海上自衛隊の術科学校で教官をしていたときのことである。そのまま順調に行けば部内出身の士官候補生になる道もあった。しかし信夫は自分の人生の目標をはっきり決めていた。それは建築家になることであった。信夫は上司の熱心な勧めを有り難く思いながらも士官候補生になるための勉強はせず、玉川大学の通信教育を受け数学の勉強をしていた。建築設計技術者として生きてゆくためには数学の素養は必要であると考え玉川大学の通信教育を受けたのである。建築設計技術者になり将来は独立して事務所を持ちたいという信夫の希望は、信夫の父親を通じて千代の父親にも伝わっていた。

  信夫と結婚した千代は医師の資格を生かして江田島の海上自衛隊病院の非常勤医師を務めながら信夫の自尊心を傷つけずに信夫の長年の夢を実現させるため心配り、気働きを忘れることはなかった。医師でもあるのでその知識を活かして自分自身のことは元より信夫の健康維持にも気を配った。信夫は千代のそのようなやさしさを嬉しく思い、いつも心の中で「ありがとう」と手を合わせていた。

  千代は信夫の勉学のためにと秘かに貯金をしていた。千代は信夫と結婚する時父親から「千代、これは父さんがお前のために毎月少しずつ貯金してきたものだ。将来きっと役立つときがある。そのときまで大事に持っておくように。」と1冊の郵便貯金通帳を渡されていた。そのお金と合わせると信夫が4、5年間は働かなくても暮らして行けるだけの十分な金額になっていた。千代はそのお金を使うべき時がきたと思った。

  二人の間に二人の男の子が授かり、平和で暖かな家庭生活が続いていた。家庭の暖かさは千代の人柄が作りだすものである。千代には生来のおおらかさと明るさとやさしさがある。家事は人一倍良くこなす。花が大好きで家の内外は花や観葉植物で一杯である。

  信夫は千代に口癖のように「男の子は体が丈夫で意志が強ければ生きて行くことができる。子供を立派に育て上げ、社会に送り出すことが人生の大事な事業である。経験は学習の一つである。」とよく口にし、実際そのとおりに実行していた。二人の息子たちを子供時代よく山野海岸に連れて行き、少年時代にはスポーツ少年団に入団させ、高校・大学時代にはそれぞれ1年間の海外留学もさせた。

  千代は子供たちへのしつけは厳しいが本当にやさしい母親である。赤子におっぱいを含ませるとき、赤子の顔を見つめながら語りかけ、すこし大きくなれば膝の上に載せて両手を引いたり押したたりしながら語りかけ、成長した後も食卓での母子の会話は絶えなかった。子供たちは学校でのできごと、会社でのできごとなど何でも千代に話した。信夫はそばで母子の会話に相槌を打ちながら耳を傾けていることが多かった。(続く)

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