2010年1月10日日曜日

反捕鯨団体シーシェパード(20100110)

 南極海で我が国の捕鯨船団がオーストラリアやニュージーランドやオランダなどの政府から表向きは「暴力行為を非難する」としながらも暗に支援されている反捕鯨団体シーシェパードの活動船と放水などの手段で対抗している。今度は彼らが誇る最新鋭の活動船が我が国の捕鯨船第2照南丸の進路を勝手に妨害し、第2照南丸に衝突して大破し、乗組員1名が怪我をした。彼らは自分たちの不法行為を棚に上げオランダの司法当局に第2照南丸の船長と船員を告訴した。男は言語道断であると怒る。

 そもそも動物の肉を食べることについて、何故牛や豚なら良くて鯨はいけないのか?彼らの論理には矛盾がある。鯨は人間に近いほど知能が発達していて牛や豚はそれほどでもないと言うのか?鯨を殺すよりは牛や豚を殺すことのほうがもっと残酷ではないのか?ただ食文化の違いだけで鯨の肉を食べる国の国際法に従った行為を非難するのは矛盾がある。

 もっとも男も捕鯨には反対である。大海原を鯨の親子の一団が泳いでいる姿はほほえましく、それを観る人の心を癒す。彼らは何千キロも旅をする。人は彼らに教えられることが多い。牛や豚は食料として牧場で飼育し、機械仕掛けで屠殺し、肉片となってあちこちで売られているが、鯨はそのようにポピュラーではない。男も女房も鯨の肉は食べない。牛や豚の肉は、心の中では彼らに可哀そうだがこれを食べなければ生きて行くために十分な栄養を摂取できない、「牛さん、豚さん、ありがとう!」と思いながらも「美味しい!」と感じて食べる。男も男の女房も鯨を出されてもちっとも美味しいとは思わない。

 しかし、一方で日本人は昔から鯨を捕り、食べ、骨も皮も歯も何もかも捨てるところは無くすべてを加工し、利用してきた。その文化は根強く残っている。鯨の捕獲数を限定した調査捕鯨で持ち帰った鯨の肉などは一部の限られた人たちに喜ばれている。多くの日本人は反捕鯨国の人々のように感情的にはならず、逆に彼らに強い反発を覚える。彼らが自国の軍隊の出動まで希望し、日本の捕鯨船団を閉めだそうとすることに強い怒りを覚える。

 最新の科学でこの地球上の人類は皆共通の祖先を持っていることが判って来ている。人類は皆兄弟姉妹なのだ。世界の国々で同じようなことを言った人はいるかどうか男はまだ調べていないが、明治天皇は「四方の国 皆同胞と思う世に なぞ波風の立ち騒ぐらむ」と詠われた。「同胞」とは「同じ母親の子供」という意味である。大阪箕面市の生まれで平成7年(1998年)に死去した政治運動家・実業家・社会奉仕活動貢献者・笹川良一氏は「世界は一家 皆我が友」と財団法人吟剣詩舞道振興会の会詩の中で言っている。

 余談であるがヨーロッパ連合の生みの親であるリヒアルト・クーデンホウフ・カレルギーの母親は日本人・光子(骨董商青山喜八の娘)である。「世界は一家」の思想は日本人が無意識に持っているものかもしれない。我々日本人自身が意識していないことであるが、多くの欧米人が日本の文化に惹かれている。自然と一体となった幽玄の美の世界、閑寂な風趣である‘侘(わび)’やこれが洗練されて純芸術化された‘寂(さび)’の世界、日本刀や小寺の屋根の傾斜の微妙な曲線に見られる美の極致の世界は、日本独自のものである。

 文化の違い、習慣の違いが誤解を生む。男は日本政府はシーシェパードの連中を無償で日本に招待し、23ヶ月間の滞在費も観光費も負担して日本の文化や習慣に触れさせたら良いと思う。そのコストは安いものだ。感情的になって捕鯨船団の警護能力を高めるための装備などを強化するよりも結果的にプラスとなって戻ってくるだろう。