2010年9月27日月曜日

母・ともゑ (20100927)


    1952(昭和27年)1月18日、大韓民国(韓国)大統領・李承晩は海洋主権宣言を行い韓国政府は一方的に軍事境界線(李承晩ライン)を設定した。韓国政府はこのラインの韓国側に日本の固有の領土である竹島を勝手に含めた。

    韓国政府は海洋資源の保護のためと称してこのラインの内側の韓国付近の公海で、韓国籍の漁船以外が漁業を行うことを禁止した。その本当の狙いは韓国で獨島と称する竹島と対馬の領有を主張するためであるとする説もある。

  韓国政府は一方的に宣言した海洋主権宣言に基づき、これに違反した日本の漁船を臨検し、拿捕・接収した。逃げようとした日本の漁船を銃撃し、船員が殺害されるという事件も起きた。1960年(昭和35年)の李承晩失脚後もこの状態が続いた。1965年(昭和40年)、日韓漁業協定の成立によってラインが廃止されるまでの13年間に韓国が抑留した日本人は3929人、拿捕した船の数は328隻であった。死傷者は44人を数えた。

  李承晩の政府が日本と韓国の間の公海上に、国際的慣例に照らしても違法な軍事境界線を設置し、またその境界線内に日本の固有の領土・竹島を編入したことについて、日本とアメリカ両国の政府は韓国に対し「国際法上の慣例を無視した措置」として強く抗議した。アメリカ政府は竹島をサンフランシスコ平和条約により日本領として残したこと、及び李承晩ラインの一方的な宣言は違法であることを韓国政府に伝えている。このことは1954年に作成された米国機密文書・ヴァン・フリート特命報告書にある。

  竹島は江戸時代から日本の支配が及んでいた島である。韓国の史料の史料に照らしてみれば、竹島は位置的にも島の大きさからも、韓国が竹島を自国の領土と言うのは全く不当である。竹島問題は日本と韓国の間に突き刺さった厄介なとげである。

    竹島問題は、1963年(昭和48年)、李承晩退陣後日韓両国の思惑・相互利益のため棚上げされた。1970年以降突然、尖閣諸島を自国領土と主張するようになった中国も日中両国の思惑・相互利益の上で、中国としては「尖閣諸島は歴史的にも中国固有の領土であるが、棚上げしている問題である」と国際的に印象付けようと考えているのかもしれない。

    韓国第2代大統領・朴正煕は、自国(韓国)の工業化を進めて国を富ませ、南北朝鮮の統一のため資本と技術を他国に求める必要があった。そこで目を付けたのは日本であった。日韓両国の思惑と相互利益のため、竹島問題は棚上げされた。しかし、竹島は韓国により不法に占拠されたままの状態が現在までも続いている。


    国際関係の歴史の狭間で一臣とともゑはそれぞれ人生の一時期、それぞれ一個人として韓国社会に深く関わった。二人は教育という分野で、韓国の子供や青年たちに一定の影響を与えた。それが良い影響であったか、悪い影響であったかの評価は今後の歴史の中で評価されるであろう。すべての物事には正反両面あり、ある時期に‘正’とされ続けてきたことも後世にそれは‘反’であったと認められるようになるものである。

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