2010年9月28日火曜日

母・ともゑ (20100928)


  日本が韓国を併合していた時期の歴史は、後の世には日韓両国民によって、左右両極端に偏ることなく、正しく認識されるようになるであろう。信輔が記憶しているように、終戦間際一臣たち一家もそれが暴徒に対処するための訓練だったのか、実際に暴徒がやってきたのか定かではないことが起きていたし、一臣もピストルを渡されていたような緊迫的な状況があったことは確かである。実際信輔の同級生は男装して引き揚げてきている。

    インターネット上には総督府の命令に背いてまで朝鮮人の子供たちの親代わりをし、その深い子供たちに愛情を注いできた日本人の一家が、戦後の混乱期に無残な方法で殺されたという記事が出ている。両親を殺され飢えで死んだ娘・ひみこは哀れだった。

  明治維新後近代国家として歩み始めた日本は、幕末から明治維新後の国際情勢の中で、欧米・ロシア列強に伍し自立自存のため必死に頑張ってきた。武士道精神を楯にして、国際信義を守り、国家間の正式な取り決めを交わしながら、自衛の為、アジア諸国の自立と共栄という大義のため、日本は孤軍奮闘してきた。

    その状況の中で国際コミンテルンによる謀略工作があり、日本はずるずると戦争の深みにはまり、結果として東京裁判で日本は侵略国家の烙印を押されてしまった。その結果、日本人は自分たちの父祖が流した血に目をそむけ、自虐的史観に陥ってしまった。現在70歳代前後になっている人たちは、自分の父祖たちが命をかけて行ってきたことを否定し、東京裁判の結果にまともに批判の目を向けようとはしない。

    その一方で、戦後生まれの世代の人たちの中には反動的に右翼の思想に共鳴する人たちがいる。物事の両極端に正義はない。あるのは私心・私利・私欲だけである。今に至る歴史の中で日本は蟻地獄にはまったように苦しみもがき、結果的に310万もの犠牲者を出してしまった。その中には原子爆弾やB-29による無差別爆撃で死んだ何10万人という一般市民も含まれている。自らそのような犠牲者を出す一方で、日本はアジア諸国の人々にも多大の苦しみを与えてしまった。

    もし、中庸でことを納める知恵があったならば、そのような悲惨な結果になる前に日本は蟻地獄から抜け出すことが出来ていたかもしれない。当時の日本の指導者たちにはそのような力量が足りなかったのである。

    東京裁判でA級戦争犯罪人とされた人たちは、1100 万人ものユダヤ人を毒ガスで殺したナチスドイツの戦争犯罪人と同じような扱いで処刑されてしまった。本来ならば彼らは日本だけではなく、日本が統治していたアジア諸国にも多大な苦しみを与えたという結果の責任を問われて然るべきところである。しかし戦後日本の知識人たちはそのことに無関心であった。それだけではなく同胞の日本人に自虐的史観を植え付けることに熱心であった。

    東京裁判で日本がアジア諸国を植民地にするため侵略したという構図が造られてしまった。しかし日本人が行ったことは「統治国と被統治国の間の契約により‘統治’した土地」を統治したのであって、欧米人の概念にある「植民地」を造るため侵略したのではない。

0 件のコメント: