2010年10月13日水曜日

小説『母・ともゑ』継母の介護(20101013)


  信輔が湯の平で友達に会って家に戻った翌日、信輔の父・一臣と継母・八千代の間に出来た娘で、信輔にとっては腹違いの妹・亮子が母のことを心配して帰ってきた。亮子自身、夫の実母が入院して寝たきりの生活を送りながら人工透析を受けているため、そちらの方の介護もしている。寝たきりの生活になるまでの間、亮子は義母の介護で大変苦労していた。このたび信輔からの連絡を受け、夫や義母の勧めもあって丁度連休もあるので帰ってきたのである。

  その日はお天気がよく、八千代は退院後の自分の体調回復の為その辺りを散歩したいと思った。午後、いつものように押し車を押して国道に沿った歩道を歩いて行った。八千代はこれまで国道に沿って大分方向に行ったことはなかったが、信輔からある話を聞かされて自分で進んで外出し、そちらの方向に行ったらしい。

    ある話とは、八千代の母・シモが96歳で没する1ヵ月前まで乳母車を押して出掛け、その頃、信輔の妻・幸代と同じほどの年齢であった嫁にはあまり負担をかけていなかったという話である。60歳を過ぎていた信輔が八千代の実家を訪れていたときシモ婆さんは信輔に優しい笑顔を見せながら出かけていた。シモ婆さんは96歳という高齢にもかかわらず婦人会の名誉会長をしていたこともあって、出かければ隣り近所何処でも歓迎されていた。

    八千代がまだ70歳代の頃までは八千代より年上のお仲間が八千代の周囲にはいた。八千代は最年少であったということもあって、当時はお仲間の世話役をしていた。しかし皆既に鬼籍に入ってしまっており、八千代の実母であったシモ婆さんのように出かけて行っては気楽に語り合える相手が八千代の周囲には居なくなっている。居ても足が悪くて簡単には出て来れなくなっている。

    いつもなら八千代は押し車を押し、国道に沿って日田方向に散歩し、スーパーなどの店に入って何か買って帰ってきていたが、そのスーパーも閉店してしまったので初めて反対方向に行ったという。いつもなら30分ほどで戻ってくるのに今度は1時間経っても戻ってこない。信輔が様子を見てこようと出かけるとき丁度亮子が帰ってきた。

    亮子は「お母さんは?お母さん元気なの?」と言う。「お母さんは元気だよ。今押し車を押して散歩に出かけているところだよ。ちょっと様子を見てこようと思う」と信輔が言うと、「私も行くわ」と亮子は自分の荷物を玄関に置いたまま信輔についてきた。信輔は、八千代が今日はいつもと違う方向に行っているだろうと予感していたので、亮子と一緒に大分方向に歩いて行った。すると向こうの方で小さな物がこちらに向かって来ている。「あ、あれはお母さんだよ。押し車を押してこちらに向かって来ている」と信輔が言うと、亮子はそちらをじっと見つめている。亮子は加齢に伴い視力が落ちていて直ぐにはそれが何であるか視認できなかったが、ようやくその小さな物が押し車を押してこちらに向かっている八千代であることが分かった。八千代は今度初めてそちらの方向に出かけて幾人かの人に会い、長話をしていたため帰りが遅くなったのである。その話相手の一人は信輔と幸代が先日初めて会って知己を得ていた新しい民生委員である。信輔と同年輩の婦人である。

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