2010年10月29日金曜日

特攻(20101029)


  本屋に立ち寄り何かいい本がないかと物色した。本屋の入り口の台上に『図説特攻』という本が目についた。その本は森山康平という人が著したもので河出書房新社が出版したものである。裏表紙にまだ10代と思われる特攻隊員が出撃前子犬と人形を抱いて微笑んでいる写真がある。これから死ぬというのに悲壮感がまったくない表情である。

 どんな内容の本かと思い立ち読みしてページをめくった。値段は1600円である。ついこの間、この本やで『大東亜解放戦争』という上下2巻の本を4000円も出して買ったばかりである。この本を買おうかどうか躊躇したが、結局買うことにした。このような本は今後出ないだろう。蔵書にしておけば男があの世に逝った後、孫がいい齢になった頃手にして読んでくれるかもしれない。そう思って思いきって買った。

 先の大戦で、特攻隊慰霊顕彰会という組織が編纂した『特別攻撃隊』(平成2年・非売品)には特攻戦死者の全氏名が掲載されているという。それによれば海軍が4156人、陸軍が1689人、合計5845人の方々が先の大戦で散っていったという。

 航空特攻の中心はフィリッピン近海における特攻と沖縄近海にものが大部分であるという。フィリピン航空特攻の戦死者は695人(海軍419人、陸軍276人)、沖縄航空特攻の戦死者は2610人(海軍1590人、陸軍1020人)となっているという。航空特攻では沖縄近海における戦死者が圧倒的に多い。必死で沖縄への米軍の侵攻を阻止しようとしたのだ。

 関行夫大尉が神風特別攻撃隊の隊長を命じられ、その任務を引き受け、出撃直前、同盟記者の小野田政にたいして「報道班員、日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。ぼくなら体当たりせずとも敵空母の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある」と語り、さらに「ぼくは天皇陛下のためとか、日本帝国のために行くんじゃない。最愛のKA(ケイエイ)(海軍隠語でKAKA、つぃまり奥さんのこと)のために行くんだ。命令とあらばやむを得ない。KAがアメ公に強姦されるかもしれない。ぼくは彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ、すばらしいだろう!」と言ったという。関大尉はその年の春結婚したばかりだったという。

 特攻隊員の戦死者は多かったが無駄死にではなかった。護衛空母セント・ロー、護衛空母オーマニ・ベイを沈めた他、戦車揚陸船LST-472 など5隻の戦車揚陸船を沈め、その他駆逐艦、歩兵揚陸船など多数の船を沈めた他、多数の空母その他の艦船に被害を与え、戦闘能力を失わせている。九州沖では正規空母フランクリンに海軍特攻機が急降下攻撃を行い、爆弾2個を投下し、空母は10度以上傾き戦闘不能に陥った。

    同空母で戦死者800名ほど、戦傷者不詳という被害を与えている。アメリカ側では「太平洋戦争中最も悲惨な被害だった」と言っているという。この海軍急降下爆撃機は敵弾を受け空中分解して海中に落ちたという。

    男は若いころまだ小学生だった二男を連れ靖国神社に詣でたとき、そこで特攻隊員の遺書を読んだことがある。隊員たちは皆20代前後の若さであった。読んでいて涙が出た。今の日本があるのは、彼らの犠牲の賜物である。日本人は決して忘れてはならないのだ。