2010年10月27日水曜日

小6女の子の自殺(20101027)

  小学校6年生の女の子が母から贈られたマフラーで首つり自殺した。その母親は外国人である。その女の子は学校でいじめを受け、孤独であった。新聞に載った写真を見て、男は胸詰まされる思いである。無口でおとなしそうな女の子である。家庭の中でその女の子は幸せであったのだろうか、とふと思った。

  学校側はその女の子が給食時間にいつも独りぼっちであったことは認めているが、いじめられていたことは認識していなかったという。男はそのようなことを平気で言う今の学校の態度に怒りを覚える。

  いじめにはいろいろあるだろう。「無視(ネグレクト)」もいじめである。独りぼっちであったということは、陰湿ないじめに遭っていたということである。子供に教育を行っている立場の者にそのくらいのことが分からなかったとすれば問題である。

  文部科学省はいじめの形態について指導を行うという。政府からそのような指導を受けなければ現場は改まらないのだろうか?それほど今の教師たちは程度が悪いのだろうか?

  仕方ないだろう。先日男は新幹線の陸橋の壁に向かってボール投げしている60歳代の男に注意した。そのような男の子供の世代が30代の教師たちの世代である。親が駄目なら子も駄目である。その30代の世代の親たちの子供たちも親からよい教育を受けないだろう。

  先日警察が万引きした子供の母親を呼んで注意したところ「万引きぐらいで」と言ったという。そのような母親は全体の数パーセント以下だと男は思いたい。

  それにしても向こう三軒両隣のような近所づきあいが希薄になった今の時代、何か打つ手はないのだろうか?物事には常に2面性がある。近所づきあいが希薄であっても、インターネット上で何か出来る筈である。先日ギャルママたちのネットワーク活動のことをテレビで観た。今の時代、全国どこに住んでいても、日本中の人々に呼びかけができる。

  そのような呼びかけを積極的に手助けするようなサイトはあると思う。ま、このように男がぼやかなくても、世の中はうまくゆくようになっているのだろう、と思いたい。

  ところでかく言う男は非常に優れた女房のお陰もあって向こう三軒両隣の付き合いがうまく行っている。ときにその日釣ったばかりのカンパチを頂いたり、旅行の土産を頂いたり、女房は女房で田舎から宅急便で送ってきた新鮮な野菜をおすそわけしたり、ご近所と頻繁にコミュニケーションが出来ている。

  先日、見かけない近所の子供が中学校に通う時すれ違った。男は「お早う」と言ったが気づかなかったらしくそのまま通り過ぎた。そこでその子供の背中を軽くたたき「お早う」とまた言った。その子はびっくりしたような表情で「お早うございます」と返してきた。

    ある日、こちらから声を掛けたのに黙ったままの青年がいた。「返事ぐらいしなさいよ、礼儀だよ」と言ってやった。先日の中学生の子もその青年も、男からそのようにして声を掛けられたことを幾つになっても覚えていることだろう。

  人様々であるが、男はご近所のどんな相手にもこちらから先に、気軽に、にこやかに、挨拶し、言葉を交わしている。これは男の習慣である。