2010年10月26日火曜日

90年世代(20101026)


 90年世代とは、中国内陸部の各都市で反日デモを行っている若者たちのことである。彼らは子供の頃、反日的な愛国心教育を受けている。日本人が全額金を出し、設計した南京大虐殺記念館もその教育に利用されている。

 彼らは「沖縄も尖閣諸島も中国の領土である。」「日本人はこの地球上から消え失せろ。」と叫んでいる。中国政府はデモの鎮圧に力を入れているようであるが、一部の‘ガス抜き’のためデモを容認している。沖縄の一部の人たちはそのデモをどう観ているであろうか?

 日本ではそのようなデモを行う若者はごく一部の学生たちであって、大部分の中国人は反日ではないと観ようとしている。デモは本当は中国政府に向けられているのであって、或いは、江沢民氏の一派が習近平氏を次期国家主席にするための権力闘争として行われているのであって、その旗印に「反日」を掲げているのであると、理解しようとしている。

 勿論、日本人は感情的になることは慎まなければならない。しかし、デモを行っている世代が将来中国の指導層(=官僚)になったときのことを日本は考えておかなければならない。15年後、日本と中国の関係は今より良くなっているであろうか?

 一昨日、前の官房長官だった平野氏が、中国との付き合い方について歴史を観れば分かる、というようなことを語っていた。男は、衆議員安全保障委員会の委員長である彼は、奈良・平安の昔から日本が当時の大国・先進国中国と付き合ってきたその付き合い方にヒントを得ているのだろうか?

 当時の日本は中国大陸から見ればはるかに遠い国であり、攻めてゆくのに相当のエネルギーを必要とした。今では簡単に核ミサイルが飛んで来かねない。第33代推古天皇の御代、聖徳太子が小野妹子を大唐(実は随の国)に派遣し、隋の皇帝煬帝に日本の国書を手渡した。その国書に「日出ヅル処ノ天子、書ヲ日没スル処ノ天子ニ致ス。恙無キヤ」とあった、これを見て隋の皇帝煬帝は喜ばなかったと、当時の中国の歴史書『随書』に出ている。

 当時中国(シナ)の歴代の皇帝は、シナこそ中華の国であって周辺の国々はケモノの国、民は東夷(とうい)・西戎(せいじゅ)・北狄(ほくてき)・南蛮(なんばん)という野蛮人である。シナの皇帝だけが天子なのであって、東夷の倭の天皇が自ら「天子」と称するのはけしからんと考えてきた。日本のことを「倭国」と言い続けてきた。シナが日本を正式に「日本」とよぶようになったのは、北狄のモンゴル人が皇帝になってからである。

 その元の皇帝も天皇を「天皇」とは言わず「日本国王」と言った。神奈川県立金沢文庫に北条氏関連の古文書が展示されているが、その中に元の皇帝が日本国の天皇に宛てた文書の写しがあった。これには、自らを「大元皇帝」とし、天皇を「日本国王」としている。ただし文末は「不宣」とあり、手紙の末尾につける挨拶の言葉を付けて、ある意味で中国の皇帝と天皇とは対等という友情を表している。皇帝は漢族ではなくても、実務官僚である漢族の官僚たちが公文書上「天皇」とさせなかったのであろう。

 一部の人たちの対日蔑視には根深いものがある。シナの皇帝の柵封下小中華の国であった朝鮮も同様である。その日本が大国であることが彼の国の人たちには憎らしいのである。