2010年10月15日金曜日

小説『母・ともゑ』継母の介護(20101015)

  そのような家に八千代は独りで暮らし、介護を受けながら家を守っている。信輔は八千代の介護のため頻繁に帰郷し、そのたびに一臣が生きたこの風光明媚な土地でピースフルな気持ちになることができている。‘ピースフル(peaceful)’は日本語では完全に表現できないような「穏やかな、平和的な、人々が和やかな、田園的な」イメージである。信輔の友人であるスエーデン系アメリカ人の女性が良く使っていた言葉である。信輔はこの土地から離れることができない継母を大事にして上げなければならないと思っている。

    その母も近頃物忘れがひどくなってきている。信輔は母が汚した衣類を洗濯機に入れる前に粗洗いするため、たらいとゴム手袋を用意した。自分が訪問介護ヘルパーのように他人として一人の老いた女性を介護するという気持ちなると、どんなことでもやれるとう自信と気概を持つことができる。

    信輔自身、会社定年後暫くボランティア団体に所属していた縁で、ホームヘルプサービスを提供しているある女性ばかりの団体に関わるようになり、その団体をNPO法人化し、7年間自ら理事長をし、その間2級ホームヘルパーの資格も得ている。その間実際にホームヘルプ活動をしたことがあるが、そのときの相手は男性であった。今度は自分の継母である。継母も信輔を非常に頼りに思っている。これは信輔の人生の「役割」の一つである。

    この仕事が「役割」であると思うと信輔は何の苦労も感じない。むしろときどき竹馬の友に会ったり、先祖の祭祀のことを考え、準備することが出来たりして楽しいことである。信輔は先祖以下祖父母の墓と父・一臣や生母・ともゑの墓が別々の場所にある状況を自分の代で解決し、信輔の子孫や一族が同じ場所で先祖の祭祀を行うことができるようにしなければならないと考えている。

    信輔のように家系や先祖の祭祀を大事に考える者は近年そう多くはないであろう。まして女性はそのことに余り関心をもたないだろう。昔、女性は‘女’へんに‘家’と書いて嫁と言うように、女性は家を出たら他家に従属する存在であった。今時の女性は男女別姓に賛成する者も少なくない。しかし‘家’は古来日本人にとって大変重要な文化的シンボルである。日本が英米等との戦争に負けた結果、そのような‘家’の秩序を軽んじるようになってしまった。その結果、昨今いろいろな社会問題が生じている。

    天皇家は日本人にとって各家の宗家のような存在である。ともゑが今際の時「東を向けておくれ」と言ったのは意味があった。ともゑは信輔に‘家’の秩序を身を以って示したのである。ともゑには戦争に負けた日本の今日の姿を見とおせたのかもしれない。

    八千代は一臣を支え、自ら育てることは出来なかったが自分の娘・幸代により一臣の孫、つまり信輔の息子たちをわが‘家’にもたらし、わが‘家’に貢献した。そして91歳になり、そう遠くない日に自分の人生を終えようとしている。73歳にもなったとは言え長男である信輔は継母・八千代を良く看なければならないという責任と義務がある。地縁血縁が濃い田舎の地域社会で果たさなければならない義理が、長男・信輔にはあるのである。

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